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悲しみのアンジー(Angie) ザ・ローリング・ストーンズ [ローリングストーンズ]





1970年代になり、解散してしまったザ・ビートルズと違い、ザ・ローリング・ストーンズは新加入のギターヒーロー、ミック・テイラーを加え、「スティッキー・フィンガーズ」(Sticky Fingers)、2枚組の「メイン・ストリートのならず者」(Exile on Main St.)の、日本でもオリコンチャートのトップ10に入る、今もロックフリーク、ストーンズファンには評価の高いアルバムを発表。健在ぶりを示しておりました。

そんなザ・ローリング・ストーンズがジャマイカで録音したそうな、アルバム「山羊の頭のスープ」 (Goats Head Soup)を発表するのが1973年。シングルカットされ欧州圏の国々や全米では堂々1位に輝き、母国英国チャートでも5位を記録、そして日本でも 折からの歌謡史に残る!空前の和製ふぉーくブームの最中という事もあり、曲調が「ふぉーくのコ」にも好まれたせいか売れたのが、こちら「悲しみのアンジー」(Angie)。

同年1973年が例の、ストーンズ初来日公演中止騒動の年でした。

キース・リチャーズとミック・テイラーによる魅惑のギター演奏に、キーボードには以前からストーンズのレコーディングに参加していた、第一期ジェフ・ベックグループのニッキー・ホプキンス。彼のキーボードもかなり!「悲しみのアンジー」(Angie)、効いてるのは誰でもわかりますね。

当時、ミック・テイラーはそのルックスの良さもあり、女性に人気が高く、又、カリスマギタリストであったエリック・クラプトンの後釜として、クラプトンがクリーム以前に参加していたバンド、ブルース・ブレイカーズに加わったという、クラプトン系列のホワイトブルースの「保証書つき」ギタリストでもあったので、ギターキッズ、ロックファンの男のコにも人気がありましたが、ミック・テイラーは翌年1974年末にストーンズを脱退してしまい、今も「キースとミック・テイラーがギタリストの時代のストーンズが、一番良かった」と、懐かしく言うロック親爺、多いです。






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ダイスをころがせ Rolling Stones - Tumbling Dice (From "Ladies & Gentlemen" DVD & Blu-Ray [ローリングストーンズ]





ザ・ビートルズファンたるものストーンズごとき好きになってはいけない。ストーンズファンたるものビートルズごとき好きになってはいけない。ザ・モンキーズは論外。

わりと1970年前後は、昨今(2013年)の20代〜40代の人達にはわからない、こういう不文律、決まり、ファンの掟があって(笑)、「たかが音楽」「たかがバンド」を聴く好むだけでも、とても不自由だったわけで(爆)、こちら1972年の「メインストリートのならず者」(Exile on Main St.)からのシングルカット、「ダイスをころがせ 」( Tumbling Dice)が、アメリカのみならず日本でもヒットチャートを駆け上がった時は、ザ・ビートルズファン一派だった蒼き当サイト運営者は困ったものでした(笑)。ケチつけなくちゃいけないし、個人的には(好いんじゃない?ビートルズは解散しちゃったけど、ストーンズよく頑張ってんじゃん)という思いがあったからですね。

翌1973年も、アルバム「山羊の頭のスープ」 (Goats Head Soup)からの、如何にも!当事の和製ふぉーくブーム吹き荒れる日本の、日本人の好みの「悲しみのアンジー」(Angie)が更なる大ヒットをし、同年、例の!ザ・ローリング・ストーンズ初来日公演中止とはいえ、レコード会社は来日記念盤として、A面B面、ヒットナンバーの「スペシャルカップリング」シングルを発売。

これにて当サイト運営者はザ・ビートルズファン一派の掟を破り、「オレはビートルズも好きだけど、ストーンズも好きだ」宣言をし、裏切り者の烙印を押されるわけで(笑)、まあ、ブルースやR&B、ニューソウル、ニューファンク、黒人音楽もロックと共に好んでいたので(その元もザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズ。そしてエリック・クラプトンのイギリス白人の影響ですが)、白人ハードロック&プログレ至上主義者というのも当事は多かったので、ここでもリードギタリストのミック・テイラーは別にして、ストーンズの演奏力は彼等に評価されていなかったので(チャーリーやビルに限らずキースもしかり)、ストーンズを好きだというだけで、けっこうな軋轢(ある種の嘲笑、蔑み)がそこら中であり、音楽、ロックに対するディベートは、あの頃、好むと好まざると、当サイト運営者は身につけてしまいました(爆)。

更には1972~75年頃の若者達の絶対的!多数だったのは、和製ふぉーく信者達でしたので、「ふぉーくのコ」とロックや黒人音楽の話しをしても全く通じず、実際、後世で伝わる「70年代ロック伝説」の中には、リアルタイム経験者としては(ほんと〜?違うんじゃな〜い?)と思う事が多いわけであります。

まあ、そんな事、70年代のストーンズの曲、特にこちら「ダイスをころがせ」( Tumbling Dice)を聴くと思い出しますね。






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ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男 Stoned [ローリングストーンズ]





1969年に死去してしまい70年代を生きられなかった、ザ・ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズを描いた、2005年のイギリス映画。

日本でキース・リチャーズが人気者になるのは1980年も越えた頃からで、理由は有名無名問わずミュージッシャンサイドの人間達が、R&R(R&B)バンド、エレキバンドの中でのリズムギターの重要性とキースの作曲センスを高く評価するようになってから、80年代になって次世代の若者達にパンク、バンドムーブメントが起きてから、ふぉーくスタイルからロックに転身したRCサクセションの新メンバー、古井戸のチャボ、仲井戸麗市氏がとてもキースに似ていた、忌野清志郎氏がストーンズを絶賛してから、いかにも!キース節のイントロのギター一発でカッコいい!「スタートミーアップ」が日本でも大ヒットし、ライブ映画「 Let's Spend the Night Together」も好評だったから等の理由があげられます。

1970年代はロックバンドの評価は、少なくとも日本ではリードギタリストのリードギターソロに対してのソレが圧倒的でしたので、ザ・ローリングストーンズもブライアン・ジョーンズの後釜として加入したミック・テイラーがとても人気が高く(脱退後も)、又、1960年代後半のグループサウンズ、GSブームの頃は、そのルックスの良さとストーンズのリーダーという事で、ブライアン・ジョーンズが圧倒的に!人気が高く、キースを賞賛する空気というのは、希薄だったのが本当であります。

実際この映画でも、ミックやキースはブライアン・ジョーンズが大好きなブルースをやる為に集めたメンバーという描き方をしており、ザ・ローリングストーンズの1枚目、2枚目のアルバムは正に!そのブライアン・ジョーンズ好みのブルース、R&R、R&Bのカヴァー曲中心のアルバムであり、キース曰く「ローリングストーンズは、イギリスでアメリカのブルースやR&Bを広める為に結成した」そのもののアルバムになっており、今や当たり前のアメリカのその手の黒人音楽をイギリスで一般的に広めたのは、ザ・ローリングストーンズ、ブライアン・ジョーンズの功績なわけであります。

又、日本の60年代当時の洋楽キッズ、ギターキッズも、ザ・ヴェンチャーズの次にストーンズの初期のこのアルバムやアニマルズのカヴァーで、ブルースを知った方はとても多いですし、世界的にそれまで知られていなかったアメリカのブルースを一般的にし、アメリカのブルースマン達の生活が潤うようになったのは(名声やカヴァーの印税含め)、イギリスのザ・ローリング・ストーンズ=ブライアン・ジョーンズ、そして抜群のカリスマ人気を誇っていたエリック・クラプトンが、インタビューで自分達の音楽はブルースの影響と言い続けたからで、まあ、ザ・ローリングストーンズの結成の動機「アメリカのブルースやR&Bを広める為」は、既にデビュー直後に叶ったと言えるわけです。



そして映画でも描かれているように、マネージャーのアンドリュー・ルーグ・オールダム(ザ・ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインの下で働いていた)は、カヴァー曲が幾ら売れても、人気を得てもオリジナル曲でないとバンドに印税が入らないので、リーダーのブライアンではなく、ミックとキースに曲を書かせるようになるわけで、映画ではブルースマン、ブライアン・ジョーンズが、ザ・ビートルズはポップスだからビートルズのようになる気はないと言っており、まあ、ブライアンがこう言った可能性はありますが、実際に、ならばポップスではないブルースを、ブライアンがオリジナルとして作る事を、アンドリュー・ルーグ・オールダムもミックもキースも禁止したわけではありませんし、キース曰くブライアンは曲が書けなかったとも言われています。

で、これも映画を観てもらえばわかる通り、ザ・ビートルズばりに人気者になって、女のコにきゃーきゃー言われ、皆、その恩恵には預かっていたものの一番!舞い上がっていたのもブライアンだったというのも、ファンの間では定説であり、一途に真摯にブルース道を極め自分の音楽の世界を築こうと、ブライアンが全くしていなかった、ドラッグと酒とセックスに溺れる日々だったのも、映画を観ればわかりますね。

同じようにドラッグと酒とセックスに溺れつつも、「仕事」だけは!きっちり!やり続けた、このへんがミックとキースとブライアンの違いなのでしょう。

若くして莫大な富と名声を得、信じられないぐらい女のコにモテると、その恩恵にあずかろう、ソレを収奪してやろうと「よからぬ輩」が友達、仲間面して寄ってくるのも世の常。ザ・ローリング・ストーンズレベルとはいかないまでも、ちょっと金回りがよかったり女っ気があると、10年来の友達のような顔をし満面の笑み浮かべ、知らない男達が集まってくる経験のある男、わりと世の中には居ると思います。

この映画はとても!よく出来た映画だと思います。ロックファンなら必見だと思われます。








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ホットスタッフ ザ・ローリングストーンズ The Rolling Stones - Hot Stuff - OFFICIAL PROMO [ローリングストーンズ]





リアルタイム当時は、キースより人気があった(リードギタリスト至上主義時代だった影響もあり)ミック・テイラーが突然!脱退し、紆余曲折ありロン・ウッドが正式メンバーになった、1976年発表の初アルバム「ブラック・アンド・ブルー」(Black And Blue)の、A面1曲目の、ザ・ローリング・ストーンズ流、ファンクナンバー。「ホット・スタッフ」( Hot Stuff)。

時代背景としては、ザ・ローンリング・ストーンズがルーツとするR&R、R&B、ブルースのアメリカ黒人音楽が、70年代に入り、ニューソウル、ニューファンクの流れになっており、既に1974年、スコットランド出身の白人ファンクバンド、アベレージ・ホワイト・バンドは「ピック・アップ・ザ・ピーセズ」で、全米1位を獲得。アメリカの白人ファンクバンド、ワイルド・チェリーも「プレイ・ザット・ファンキーミュージック」で1975年、全米1位を獲得。

人気白人バンドが黒人音楽をルーツにした演奏をやる第一人者の自負が、おそらくザ・ローリング・ストーンズはあると思われますし、案外、ストーンズは時代の流れ、空気に敏感なので、このアルバム、このナンバーは、そんな時代は背景に触発され作ったのではないか?と思われますね。

まあ、ストーンズ流のファンク解釈、極端に言えばストーンズ流ジェームス・ブラウン&JBS、或いはPファンクと言えなくもないナンバーだと思います。



ただ、ロン・ウッドはアルバム発表時に正式メンバー決定しており、レコーディング時は未だフェイセズのメンバーだったので、このアルバム、あまり実は参加しておらず、「ホットスタッフ」(Hot Stuff)の、この非常に!印象深いファンキーでうねうねしたギターソロは、ロン・ウッド同様、後任ギタリスト候補だったハービー・マンデルが弾いており、もしかしたらハービー・マンデルがストーンズのメンバーになっていたかもしれないナンバーなので、ハービー・マンデルも気合いが入っていたのではないか?と推測出来ますね。

こちらもとても印象深いキーボードは、ザ・ビートルズの映画「レット・イット・ビー」でもお馴染み、黒人のビリー・プレストンであり、ハービー・マンデルとビリー・プレストンの力なくして、この極上の!ファンクロックは作れなかった事でしょう。

この後、ロン・ウッドが正式メンバーになってからのツアーを録音したライブアルバム「Love You Live」のロン・ウッドのギターソロとオリジナル録音のハービー・マンデルのギターソロを、比べてみるのも面白いかもですね。

ハービー・マンデルが相当!独創性の高いギタリストなのがわかると思いますし、ロン・ウッドではなく、もしハービー・マンデルがストーンズのもう一人のギタリストになっていたら、その後のストーンズサウンドは相当!変わったものになっていたかも知れないですね(別にロン・ウッドが悪いというわけではないので、誤解のないように)。まあ、そのへんは「神のみぞ知る」という事で、、、。






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ホンキートンクウーマン Rolling Stones - Honky Tonk Woman (Hyde Park '69) [ローリングストーンズ]





ザ・ローリングストーンズは、当時のニューウエイブ!ニューロック、ギターヒーロー(リードギタリスト絶対信奉)時代を、どうやって生き残ったか?、、、。

1970年直前、ミック・ジャガーと並ぶ、いや、少なくも日本では当時、ミックより人気のあった「ザ・ローリングストーンズを作った男」ブライアン・ジョーンズが、薬物使用の問題諸々含め、バンド内で浮いており、ストーンズのメンバーとして活動を共にするのは極めて難しい状況にあり、人気者の「英国白人でブルースギターの弾けた」数少ない人材であったブライアンを欠くのは。当時のストーンズには営業的に、かなりの痛手だった筈。

更にはエリック・クラプトン、ジミ・ヘンドリックス登場以降、時代はスーパーギタリストがもてはやされた時代背景、プログレ、ブルースロック(ハードロック)のニューロックがニューウエイブの時代であり、ザ・ローリングストーンズもザ・ビートルズも、それ以前はバンドと楽曲が人気の、そういう時代を生きてきたバンド(ザ・ビートルズの場合、アイドル的な扱いもあったが)。今のように資料豊富な時代と違い、個々のプレイヤー、ミュージッシャンとしての力量は、今ほどストーンズもビートルズも評価の対称になっていなかったからであります。

特に!1980年前後から、ザ・ビートルズのジョン・レノン同様、その秀逸なリズムワーク、コードワークでバンド、楽曲をグルーヴさせるリズムギタリストとして高く評価され今に至っているキース・リチャーズですら、当時のスーパーギタリストの条件はリズムギタリストではなく、「ブルースロックスタイル」の「チョーキングヴィブラートを駆使し、泣いてるソロを如何に長く弾く」リードギタリストが評価の対称の時代背景だったので、非常に分が悪かった。



ザ・ローリングストーンズは結局、ブライアン・ジョーンズとバンドを継続する事を断念。当時、世界が認めるスーパーギターヒーローであった「エリック・クラプトンのようなリードギターが弾ける」、クラプトンがかつて在籍していたブルースブレイカーズのクラプトンの後釜ギタリスト、ミック・テイラーをブルースブレイカーズのバンマス、ジョン・メイオールに紹介され、テイラーとストーンズはセッション後、即!テイラーの加入は決定。

ここに!エリック・クラプトンのように弾け、クラプトンが在籍していたバンドの後釜ギタリストという、当時のギターヒーローの「血統書つき」のミック・テイラーが加入した事で!ミック・テイラーが1970年代前半、並みいる当時のギターヒーロー達と肩を並べる評価をされるリードギタリストだった事が、ザ・ローリングストーンズが、オールドウエイブに成り下がる事なく、激動の!1970年前後を乗り切り、ミック・テイラー脱退後も今に至る高い評価をされるロックの老舗、名門バンドの道を突き進むわけであります。



勿論!1980年前後から高く評価されだすキースの類希なる作曲センス、リズムギタリストとしてのセンス。キース独特の5弦変則チューニング奏法から放たれるコードワークの妙技が完成するのもこの時期だったので、それも見逃せませんが、やはりブライアンを切りテイラーを入れた、ある種の時代を見余らなかったストーンズの「経営、営業センス」は抜群だったと、今更ながら思わされます。

ミック・テイラー見参!の、こちら「ホンキートンクウーマン」(Honky Tonk Woman )はイギリス、アメリカで1969年シングルチャートの1位を記録。アメリカでは4週連続1位を獲得、ミリオンセラーを記録しており、25万人集まったと伝わるこちらハイドパークでのライブは、ミック・テイラーのお披露目ライブ予定でしたが、その数日前、解雇した「ザ・ローリングストーンズを作った男」、ブライアン・ジョーンズが自宅プールで死亡したので、急遽コンサートはブライアン追悼ライブになった、これはその時の映像&音源でございます。

ちなみにこの時、ザ・ローリングストーンズの前座を務めたのが、センセーショナルなデビューを飾ったキング・クリムゾン。クリムゾンにとって、25万人の大観衆相手の前座は、最高の!レコードデビュー前のプロモーションになったのでありました。




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ハッピー ザ・ローリングストーンズ/The Rolling Stones - Happy (live) [ローリングストーンズ]




メイン・ストリートのならず者<デラックス・エディション>

パフォーマーの「動」のミックとキースに対し、この「静」のミック・テイラーのストーンズ。今では考えられないソレですが、ミック・テイラーのように静かに動かずギターを弾いてる方が、少なくとも日本では「カッコイイ」「上手い」と言われていた所があって、あまりライブパフォーマンスというのが、当時のニューロックファンはジャズファンに近いソレがあり、また、ジャズもブルースもニューロックも平行し好んでいた所もあって、今で言うロックバー、当時の「ロック喫茶」も騒いではいけない大きな声で話してもいけない、名曲喫茶(クラシックを聴きながらお茶を飲む所)のごとく厳かに!曲を聴かなければいけない雰囲気もあって、ロックバンドなのに(笑)「動」ライブパフォーマンスが評価される時代、重要視される空気ではなかったような記憶があります。

というより当時、エリック・クラプトンと同じブルース・ブレイカーズ出身でクラプトンばりのウーマントーンの流れるようなフレーズを得意としていたミック・テイラーの方が、ルックスも日本人好みの可愛い顔もしていた事もあり、何より当時の「エリック・クラプトン」というブランド力は、今の若い人には想像もつかないほどの、水戸黄門の「葵の御紋」ぐらいの威力があったので、その!エリック・クラプトンの後釜でブルースブレイカーズのリードギターを弾いていたミック・テイラーの経歴は、「葵の御紋」の松平家直結(笑)、「えーい!控えおろう」というソレだったわけで、日本人はこの「葵の御紋」に極めて弱い民族性なので(笑)、ジャズの世界でも「バークリー」音楽大学出身とか、あの有名な誰々の直弟子という「葵の御紋」を出されると、(あんまり面白くねーけどな)と内心思っても、それは言えなくなる人が、けっこういたりするのと同じだと思えば良いでしょう。

勿論!ミック・テイラーは素晴らしいギタリストであります!


「ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男」公開記念盤 Premium Tribute to STONED(DVD付)

又、それ以前のGSブームの頃は、こちらも美形のブライアン・ジョーンズの方がキースより人気が高かった、というか、あまりキースを評価していた印象がなかったのですが、映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」の主演、ジョニーデップは、主人公のジャック・スパロウ船長はキースをイメージして演じた、と公言しているこのキースの「灰汁の強い」ルックスは、当時の日本人の好みではなかったのかも知れないですね。

本当にいつ頃なのでしょう?キースが実は、この「ハッピー」Happyや「ブラウンシュガー」「ホンキートンクウーマン」等の、これぞ!ロックギター!、イントロのリズムギターでその楽曲の魅力が決まってしまうような、そんなコードリフやバンドをグルーヴさせるリズムギターを弾く「すげー奴なんだ」と、日本でなったのは?。

個人的には未だ「ギターマガジン」が創刊される以前の70年代後半に、「ヤングギター」の奏法解説等で、実はリズムギターというのはバンドアンサンブルにおいて極めて重要、それもギターバンドでのリズムギターはその楽曲をグルーヴさせる為の肝、正に!R&R、ロックそのものであると、まあ、キースよりは以前より評価されておりましたが、ザ・ビートルズのジョン・レノンのリズムギターは実は凄かったんだ同様、リズムギタリスト再評価の空気になってきてから、そして80年代になって「スタートミーアップ」の強烈に!インパクトのあるコードリフの一発で、「やっぱりキースは凄いんだ!あれもこれも、キースありきの曲だったんだ」と再評価されるようになったり、まあ、やや日本では遅れてブレイクしたパンクムーブメントの次世代の若者達に、このキースの「灰汁の強い」ルックスが好まれたからではないか?と記憶しておりますが、間違ってたら申し訳ありません。

思えばキース・リチャーズは60年代から、ずーっと!ザ・ローリングストーンズの楽曲をミック・ジャガーと手がけていたのに、そのヒット曲の殆どのギターリフもキースが弾いていたのに、GSブームの時代はブライアン、その後はミック・テイラーの方が人気があったというのは、キースに日本人は悪い事をしたなと(笑)、今更ながら思ったりいたします。

エリック・クラプトン登場以前迄、1ギタリストがそれほどバンド全体としてや、シンガーはともかく、ギタリストが注目される時代の空気でもなかったし(ザ・ヴェンチャーズは別ですが)、クラプトン登場以降は、称賛は「リードギター至上主義」の傾向がなきにしも非ずでしたので、やはりブライアンの後釜のミック・テイラーのリードギターテクニックを皆、語るのが「当たり前」だったわけで、いや勿論!いたのでしょう、コアなキースマニアも。でも、80年以降から今の今迄のような大きな称賛、絶賛は当時、キースは受けてなかったように私は記憶しております。まあ、基本的には70年代は和製ふぉーくブームの時代でしたし。

うーん、しかし!

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映画「ギミーシェルター」/THE ROLLING STONES - GIMME SHELTER (1970) [ローリングストーンズ]





愛と平和の祭典、ロックの勝利のウッドストックフェスティバルは一瞬の夢としらしめたザ・ローリングストーンズの同じくフリーコンサート、所謂「オルタモントの悲劇」。ドラッグでぶっとんでる大勢のオーディエンスと会場警備にあたったヘルズ・エンジェルズの混乱、暴動の果て刺殺事件まで起きてしまった、素晴らしいロックの勝利の1夜に、ウッドストックばりにしたかったライブを、皮肉にも写してしまったドキュメンタリー映画「ギミー・シェルター」の、こちら1シーン。

本物のヘルズ・エンジェルスは、やはり迫力があるし、ウッドストックとは明らかに会場の客層が違う、まるで昔の日本のふぉーくコンサートの客層と、歌舞伎町の踊り場、ディスコ、暴走族の集会ぐらい(笑)同じ若者でも差があるのが、よくわかりますね。

「ウッドストック」と共に1970年代になって、大々的に!劇場ロードショー映画として上映され、ザ・ビートルズの「レットイットビー」、エルビス・プレスリーの「エルビス・オン・ステージ」「エルビス・オン・ツアー」と違い、見事に!共に!商業的にはコケてしまい、当時、日本中の若者達に人気だったニューロックというのは嘘、都市伝説だというのがわかる、今は大巨匠!のザ・ローリングストーンズも、今や!伝説の!「ウッドストック」のトリで有名なジミ・ヘンドリックも、一部のコアなロックファンにしか人気がなかった、一般的にロックを理解してた好んでた日本人は、若者ですら!実は少なかったという、当時の日本でのレコード売り上げのチャートを眺めててもわかるの同様、これも1つの証明だと思います。



エルビス・プレスリーは日本でもロカビリーブームの頃より人気ありましたから、長い間、ハリウッドのB級映画(管理人は好きですが)ばかり出演していたそのエルビスがライブ、ツアーに復活!した、ドキュメンタリー映画がヒットするのは当たり前!(新宿伊勢丹前の今の「コメ兵」が映画館、ロマン劇場だった頃、エルビス熱唱の看板で大々的!ロードショーやってました)、また、こちらも皮肉にも結果的には自分達の解散劇を写してしまった、そんな筈ではなく最初は撮影開始した、ザ・ビートルズの「レットイットビー」も、ビートルズ解散は世界的大ニュースでしたからヒットしたわけですが、残念ながらストーンズの「ギミーシェルター」、そして「ウッドストック」、あとアフリカのガーナでk開催された、ウィルソン・ピケット、アイク&ティナ・ターナー)、サンタナ等が出演したライブドキュメンタリー映画「ソウルトゥソウル」(邦題:魂の詩)も、グレイトフル・デッド、サンタナ、そしてブルースをやっていた頃の(ロウダウンの遥か前)ボズ・スキャッグスの「フィルモア最後のコンサート」も、商業的には見事に惨敗。映画界に「ロック映画はあたらない」と、悪しき定説が生まれてしまったような記憶が、ございます。

ちなみにこの「ギミーシェルター」、現場でカメラを回していた一人に、かけだしのジョージ・ルーカスがおり(映画プログラムに、スタッフで名前が記されてります)、ある種の「ロックの敗北」を現場で直面したルーカスが、「昔は良かった」と、この数年後「アメリカン・グラフィティ」を撮る動機にもなってるのではないか?と思うわけで、逆に「ロックの勝利」を描いた「ウッドストック」は、こちらも若きマーティン・スコセッシが撮影・編集を行なっているので、ザ・バンドの解散コンサート「ラスト・ワルツ」のような、美しいドキュメンタリー映画を作ってるのは、「ギミーシェルター」と「ウッドストック」というネガとポジの同じ時代の1枚のフィルムの、裏表を体験したルーカスとスコセッシの原体験の違いなのではないか?と、思うわけであります。

で、余談ですがスコセッシは日本の溝口健二監督の「雨月物語」、今村昌平監督の「豚と軍艦」を含む今村昌平監督作品を何作か見てその感性に共感、小林正樹監督の「切腹」「上意討ち 拝領妻始末」のファンでもあったそうで、ルーカスも又、日本の黒澤明監督を尊敬しているのも有名な話しで、日本人にはこのへんとても嬉しい逸話であります。




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ローリングストーンズ ミスユー/Rolling Stones miss you [ローリングストーンズ]





1978年、日本でもディスコブーム吹き荒れる中、発表されたアルバム「女たち」Some Girlsからのシングルカット。大ヒットした曲でございます。


Some Girls
この時期、ザ・ローリング・ストーンズは苦境で、それはこちら「女たち」Some Girls発売前の1977年、カナダ、トロントにてヘロイン所持により、キースとその恋人のアニタ・パレンバーグが逮捕。保釈されるもまた所持していたのが発見され再逮捕。再び保釈金を払うことで保釈はされたものの裁判になり、この後1年以上に渡ってキースはトロントの法廷に出廷し、しかもキースはヘロイン中毒。そんな最中、録音、発売されたアルバム、そしてアルバムA面1曲目の!シングルが、この「ミス・ユー 」 Miss Youだったんですね。

1968年10月、キースのトロントでの裁判で、条件として執行猶予と盲目の人のためのチャリティ・コンサートを行うという形で釈放、決着。この甘い決着には、カナダ首相ピエール・トルドーの夫人、マーガレット・トルドーと、キースはじめとするストーンズメンバー達との「スキャンダル」があったからだと、誠しやかに囁かれおりますが、これが本当だとすると、一国の首相の夫人との「スキャンダル」で、このような情状酌量が起きたとしたら、ロック史!歴史に残る!大事件(笑)、流石は!ザ・ローリングストーンズだと、思わずには管理人はいられませぬ、、、。




というわけで、当時の日本の空前のディスコブームでも、人気の高かった、こちら「ミス・ユー 」 Miss Youは、実は日本では当時、やや商業的にも人気面も低迷気味だったストーンズが、ストーンズここにあり!を示した、この勢いが1981年の「スタート・ミー・アップ」Start Me Upの大ブレイクまで繋がった、貴重な1曲だったと、管理人は思っております。

ちなみに「スタート・ミー・アップ」Start Me Upは、こちら「女たち」Some Girlsレコーディングセッションの頃から制作がはじまっていたと、伝わっております。


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It's Only Rock And Roll-The Rolling Stones [ローリングストーンズ]





1974年、アルバム「イッツ・オンリー・ロックンロール」It's Only Rock'n Roll、アルバタイトル曲のわりにA面3曲目の(笑)こちらが発表されました。


イッツ・オンリー・ロックン・ロール(紙ジャケット仕様)
60年代のストーンズも、「ザ・ローリングストーンズを作った男」ブライアン・ジョーンズと、オリジナルヒット曲を殆ど作っていたミック・ジャガーとキース・リチャーズとの諸々の問題があったりしますが、70年代もストーンズは色々ありまして(汗)、今でも古のストーンズファンには最強の!リードギタリストと謳われる事が多い、本作はギタリストのミック・テイラーが参加した最後のアルバムであり、このアルバムを機に今やお馴染み、ロン・ウッドがストーンズに正式加入するわけで、この曲、クレジットはミックとキースの共作「ジャガー/リチャーズ」になっておりますが、ロン・ウッドも共作に入ってるのは、コアなストーンズファン、古のロックファンには定説。

しかし本ルバムの最高位はイギリスで10位、アメリカで16位どまりで、日本でもそれほど売れた記憶のない、ザ・ローリングストーンズは実はこの頃!商業的にスランプに落ち込んでおり、ストーンズが商業的に再び復活するのは、ディスコブーム真っ盛り!の1978年のアルバム「女たち」Some Girlsからのシングル、ディスコヒットした「ミス・ユー 」 Miss You、1980年のアルバム「刺青の男」Tattoo Youからの先行シングル「スタート・ミー・アップ」Start Me Upが大ヒットを記録してからなのであります。

とはいえ時代の空気が当時は、そうだっただけでキャッチーなR&R、名曲は名曲でございます!。


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1971年、記念すべきストーンズレーベル設立第一弾アルバム。STICKY FINGERSの1曲目を飾ったBrown Sugar [ローリングストーンズ]

ブラウン・シュガー Brown Sugar - The Rolling Stones


あなたのサーバーコスト、そろそろ見直してみませんか?




70年代の洋の東西問わず、ロック(R&R)を、ただただ独断で称賛するブログ。一発目は今も現役!、再結成バンドは多けれど、一度も解散してないザ・ローリングストーンズの不朽の!不滅の金字塔!、何時何処で聴いても心も身体も踊る、カッコイイこの名曲で!。

1971年、記念すべきストーンズレーベル設立第一弾アルバム。STICKY FINGERSの1曲目を飾ったBrown Sugar。



有名なあの「ベロマーク」はここからはじまりましたし、60年代は日本はGSブームの影響だったのか?、ルックス的にもブライアン・ジョーンズがとても人気が高く、作曲家、ギタリストとしてキース・リチャーズを評価する空気はあまりなかったと記憶しておりますし、70年代の日本は空前の歌謡史に残る!ふぉーくブームであり、ロックキッズも又、リードギタリスト至上主義傾向だった為(よってリアルタイムは、ブライアンの後釜、ミック・テイラーの方がロックキッズには人気が高かった)、キースが今のように日本で正当に高く評価されるようになるのは、更にもっと遅く、パンクムーブメント以降、80年代になってからだったとも記憶しております。

正に!そのキースの「名刺がわり」の70年代初頭放った一発!。今も色褪せない、抜群のセンス、タイム感、グルーヴのコードワーク、バッキングの、名演奏でございます。





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