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ヴァン・ヘイレン OH!プリティウーマン Van Halen - (Oh) Pretty Woman [ヴァンへイレン]





1980年もので恐縮。

1978年、衝撃のデビュー作「炎の導火線」(Van Halen)は、全米最高位19位。 プラチナディスクも獲得し、ヴァン・ヘイレンは衝撃のデビューを果たし、日本でも来日公演を成功させ、その後もセカンドアルバム「伝説の爆撃機」(Van Halen II)、サード・アルバム「暗黒の掟」(Women And Children First)、「戒厳令」(Fair Warning)と全米トップ10入りするヒットアルバムを発表し続け、当時のロックキッズ、ギターキッズには、ヴァン・ヘイレン、エドワード・ヴァンヘイレンはカリスマ的な人気を誇っていたわけですが、ロックキッズでもなくギターキッズでもない普通の音楽ファン、洋楽ファン、或いは歌謡曲ファンには、一般的には世界も日本もシングルヒットがないと、グループ名が、良くも悪くも浸透しないのが世の常。

アルバムは好調なれどシングルヒット、例えば全米トップ20のヒットが、1979年の「踊り明かそう」(Dance The Night Away)以来 出なかったヴァン・ヘイレン、久々の!ロイ・オービンソンのカヴァーなれど全米トップ20入りを果たした、1982年のヒット曲!「OH!プリティウーマン」(Oh! Pretty Woman)。

こちらシングルの大ヒットあって!翌年発表のヴァン・ヘイレン初の!全米1位を記録した「ジャンプ」 (Jump)、そしてトップ20入りした「ウェイト」(I'll Wait)、「パナマ 」(Panama)のヒットを収録した名アルバム!「1984」の大ヒット!に繋がる、最高の!プロモーション音源、映像になったと記憶しております[ぴかぴか(新しい)]









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ヴァン・ヘイレン 踊り明かそう Van Halen - Dance the Night Away [ヴァンへイレン]





1979年発表のヴァン・ヘイレンのセカンドアルバム「伝説の爆撃機」(Van Halen II)からのシングルカット、「踊り明かそう」(Dance The Night Away)。もの凄い商業的成功を手にするヴァン・ヘイレンが、初めて!全米アルバムチャートでトップ10入りさせたのはこのアルバムはこちらで(6位)、全米トップ20に入ったのも、この「踊り明かそう」(Dance The Night Away)(15位)。

まあ、グランド・ファンク・レイルロードからボン・ジョビィまで脈々と流れる、典型的な如何にも!アメリカンハードロックスタイルの楽しいR&Rナンバーですが、日本ではファーストアルバムからのシングルカット、イギリスのキンクスのカヴァー「ユー・リアリー・ガット・ミー」(You Really Got Me)の方が、認知度が当時は高かったかな?なんて記憶しております。

当時、雑誌「ヤングギター」の積極的な後押しもあってかと思いますが、特に!ギターキッズの間でヴァン・ヘイレンのギタリスト、エドワード・ヴァンへイレンは日本でももの凄い人気で、このへんはもう少し前に雑誌「ミュージックライフ」が、クイーン、キッス、エアロスミスを推していたのと似てるかも知れないですね。「ベストヒットUSA」がTV放映されるのはもっと後、未だ未だ情報の少ない時代、ラジオ同様、音楽雑誌の情報源の影響力は、か〜なり強い時代でしたから。

来るべき1980年を迎える前夜、こちらでも何度も当サイト運営者がほざいておりますが、日本ではパンクムーブメントは話題のわりにリアルタイムは吹いてなかった。日本では80年代になってからパンクは流行り、その流れで「イカ天」系のバンドブームになったわけで(YMO人気もあってテクノは支持されていた)、この時期のギターキッズはパンクではなく、ヴァン・ヘイレンやレインボウやマイケル・シェンカーのハードなロック系に流れるか?クロスオーバー、フュージョン系に流れるか?だいたいニ派に別れていたと記憶しております。

勿論、ハードなロックをやりつつ、やっぱりちょっとクロスオーバー、フュージョン系もやっておかないと不味いなと家で隠れて地味に練習、学習してた連中(笑)、その逆にクロスオーバー、フュージョンをやってても、ハードなロックを好んでた連中もおりましたが、また日本の歌謡史に残るであろう、1970年初頭から続いた空前の和製ふぉーくブームも、1976年のユーミン大ブレイクによって、ニューミュージックなる言葉も生まれ、フォークギターもって吉田拓郎氏や井上陽水氏、かぐや姫の真似をしていれば「女にもてる」だろうとフォークギター買うコも減って(笑)、テクノに被れシンセを買う者を抜かせば、あとはエレキ!エレキ!エレキ!(笑)、80年代は遅れてきたパンクムーブメント、ヘビーメタル、LAメタル、ジャパメタブームを経由し、空前のバンドブームになるわけであります。






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Van Halen - Runnin' With The Devil/悪魔のハイウェイ ヴァンへイレン [ヴァンへイレン]



この曲が終わった瞬間、間髪入れず「暗闇の爆撃 」 "Eruption" のイントロが脳味噌の中で鳴る方は、相当!1978年12月、ヴァンへイレンの衝撃の!デビューアルバム「炎の導火線」Van Halenを聴いた方だと思います(笑)。ヴァンへイレン登場!「炎の導火線」Van Halen A面1曲目。「悪魔のハイウェイ」Runnin' With The Devil。

ドゥービー・ブラザーズファンにはお馴染み、音楽プロデューサー、テッド・テンプルマンによるサウンド。何がこのアルバム最初レコードをかけた瞬間、管理人は驚いたかと言えばライトハンド奏法、、、ではなく(笑)、エディのハーモニックスやブラッシング(空ピックの音)含むリズムギターの音の良さ、流石アメリカンバンドらしい総ハーモニーの美しさで、ボストンの1枚目の時もそうでしたが、「時代の変革」を蒼き若僧でも、なんとなーく感じたものでした。


Van Halen

日本のギター雑誌でニューギターヒーロー登場!と大々的にキャンペーンをやって、ライトハンド奏法(タッピング)はじめ解説もやっていたので、ギターキッズやロックキッズにはとても当時注目のエディでしたが(圧倒的多数だった、ふぉーくからニューミュージックへの子達には実はそれほどでもなかった)、全米でもアルバムは19位、キンクスのカバー先行シングル「ユー・リアリー・ガット・ミー」は36位、セカンド・シングルこちら「悪魔のハイウェイ」は84位と、数字だけみると爆発的に驚異的にリアルタイム売れに売れたというソレでもなく、その後もロングセラーとして売れまくったアルバム、ランクだけみれば、この後の共に最高位全米6位の、セカンドアルバム「伝説の爆撃機」Van Halen II、サードアルバム「暗黒の掟」Women And Childre、全米5位のサードアルバム「戒厳令」Fair Warning、全米3位の5枚目「ダイヴァー・ダウン」Diver Down、全米2位の6枚目「1984」、そして遂に!共に連続1位を記録した7枚目「5150」、8枚目「OU812」の比ではないのですが、それもこの1枚目あってのステップアップ。

よって、デビューアルバムもシングルも歌謡芸能的に「誰もが知ってる」ほどリアルタイム爆発的に売れたわけではないですし、空前のディスコブームを巻き起こす映画「サタディナイトフィーバー」が日本で上映されるのがこの年の夏で、ヴァンへイレン登場の年末頃は、正に!その渦中だった事もあり、当時若者だった層(2011年現在50代前半)より、もう少し下の80年代のLAメタル、ジャパメタブーム、全米2位「1984」、1位の「5150」「OU812」のアルバムが思春期ど真ん中だった方々(現在40代)の方が、ヴァンへイレンもエディも支持者は圧倒的に多いでしょう。

オランダ生まれのヴァン・へイレン兄弟(エドワードとアレックス)。アメリカのロサンゼルス近郊のパサデナへ一家で移住。エドワード・ヴァンへイレンの顔をみて、何となく日本人は親近感を感じるのは、パパはオランダ人ですがママがアジアのインドネシア系だからですね。先の大戦で日本がインドネシアのオランダ軍を攻撃するまで、オランダに長年、植民地支配されてたインドネシア。

ヴァンへイレン家も、ルーツを探ると色々深そうでございます。





ヴェリー・ベスト・オブ・ヴァン・ヘイレン


Best of 1


5150


ベスト・ライヴ・イン・USA [DVD]


1984


ベスト・ライヴ:ライト・ヒア、ライト・ナウ [DVD]


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1970年代の最後を飾った、衝撃のヴァン・ヘイレン登場! You Really Got Me (1978 Video) [ヴァンへイレン]








個人的には思春期末期時代、大事件!だったヴァンへイレン登場!。と言うとすぐタッピング、所謂ライトハンド奏法と思われるのですが、違うんですね〜。

ギターに関してはエディのバッキングセンスとテク。リズム隊を抜かすと、とにかく基本ギター1本だけでバンドアンサンブルを担ってるギターバンドですから、エディのバンドと楽曲をグルーヴさせるリズムの良さとバッキングアイデアの見事な所。特にギター1本ですから、和音、コードの合間でのオブリガードの妙技。これがエディは凄い。

音に関してもテッド・テンプルマンのサウンドメイキングと、ストラトシェイプギターにハムのピックアップをつけてるギター(この映像は違いますが)には、当時、相当!珍しかったので、おったまげたものでしたし、かなりハイテクニックな演奏をしてるわりに、余裕で笑顔で弾いてるエディの顔(笑)。この4つなんですね〜ショックを受けたのは。

勿論、タッピング、ライトハンド奏法も話題になりましたし、センセーショナルでしたが。

70年代初頭人気だったハードロックバンドの急激な人気の衰退、解散と、1978年末、突如!キンクスの古の名曲カバーの、この曲でシーンに現われた若きエドワード・ヴァンへイレン登場の、時代のコントラストを強く感じた、ある年齢以上の古のロックファンは多いのではないしょうか?。きたる80年代のロック、ポピュラーミュージックの幕開けはそんな感じだったと記憶しております。





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