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ハロージェフ/スタンリー・クラーク ジェフ・ベック STANLEY CLARKE, Hello Jeff [ジェフ・ベック]





ジェフ・ベックの初来日が、グランドファンク・レイルードやレッド・ツエッペリン、フリー、ピンク・フロイドが既に2度目の来日公演を果たしていた、大物ロックバンドの来日ラッシュブームの最中の1973年のベックボガード&アピス(BB&A)だった為、短命だったわりにベックボガード&アピスは日本のロック親爺に、今尚とても人気の高いグループです。

このグループが当初の予定通りもっと早く、ジェフの望み通りロッド・スチュワートがシンガーとして加わっていて、当時、人気抜群だった「打倒レッド・ツエッペリン」になりえたグループだったら、ロックの歴史もまた変わっていたかも知れませんが、当のジェフ・ベックが既にジャズとロックの融合(クロスオーバーと言われたソレ。後にフュージョン)、マハヴィシュヌ・オーケストラのジョン・マクラフリンに強い興味がいっていたそうでしたから、日本の海外有名大物バンド来日ラッシュで、ロックが盛り上がっていた日本人と、当のジェフでは、その思い考えにズレがあったようです。


ブロウ・バイ・ブロウ

そのベックボガード&アピスは、来日公演の翌1974年には消滅(ジェフがテイム・ボガードのベースに不満を抱いていたので衝突。揉めたとか)。

ジェフは日本のチャー氏とも活動を共にしているドラマー、ジム・コウプリーが在籍していたUPPに参加したり、又、ミック・テイラー脱退によりザ・ローリング・ストーンズのリードギタリストとして旧知の仲の候補者としてオーディションに呼ばれますが、ベックボガード&アピス以前の、こちらも短命で終わった第二期ジェフ・ベックグループでジェフがやっていた、やりたかった事とマハヴィシュヌ・オーケストラのジョン・マクラフリンのやっている事に共通点を感じていたジェフ、また、ロッド・スチュワートにふられベックボガード&アピスで感じていたボーカリストの問題も、マクラフリンのギターインストという方法論が目から鱗だったジェフは、ストーンズのリードギタリストになる事なく、ソロ名義のギターインストアルバム「ブロウバイブロウ」Blow By Blow発表。その!ジョン・マクラフリンとお互いのグループでアメリカツアーを開始するわけですね。

で、この時のジェフのサポートメンバーが、第二期ジェフ・ベックグループの盟友、キーボードのマックス・ミドルトン以外、「ブロウバイブロウ」Blow By Blowのレコーディングメンバーではなく、ジェフ要望のNYナンバー1黒人セッションドラマーのバーナード・バーディ、バーディの推薦の黒人ベーシスト、ウィルバー・バスコム。あの!二度目の来日になった、内田裕也氏が中心になって後楽園球場で開催された、「ワールドロックフェスティバル」と同じメンバーだったわけであります。


Journey to Love


そんなアプローチを続けていたジェフのお気に入りのベーシストだった、リターントゥフォエバーのスタンリー・クラークのセカンドソロアルバム「JOURNEY TO LOVE」のレコーディングセッションで、ジェフはスタンリーとの競演も果たすわけです。

その名も!「Hello Jeff」。ドラムも当時リターントゥフォーエバーで活躍していた名手!レニー・ホワイト。このジェフの為に書かれた曲でのジェフの演奏、現場でのジェフの興奮が伝わってくるような気がするのは、私だけでしょうか?。

欲を言えば、ジェフとスタンリー・クラークとレニー・ホワイトで、1枚でもジェフ・ベック名義で!アルバムを発表してほしかったですね。そうすればロックの歴史も、その後の日本でのフュージョンブームも、違う形になってたかも知れないと思うので。


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