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リキの電話番号 スティーリー・ダン RIKKI DON'T LOSE THAT NUMBER (1974) by Steely Dan [スティーリーダン]





1974年、スティーリー・ダンが発表したアルバム「プリッツェル・ロジック~さわやか革命~」(Pretzel Logic,)A面1曲目、シングルカットされ大ヒットしたナンバー。

スティーリー・ダンは、ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーの二人だけになり、後は有名スタジオミュージッシャンを起用した1977年の 「彩(エイジャ)」、1980年 の「ガウチョ」の2枚のアルバムが、折からの当時はスタジオミュージッシャンブームもあり(それがクロスオーバー、フュージョンブームに繋がります)とても有名でしたが、ギターのジェフ・バクスター(この後、ドゥービー・ブラザーズ加入)、デニー・ダイアス、ドラムにジム・ホッダー がいた、未だバンド形式だったこの頃のアルバム、楽曲も、なかなか秀逸でございます。

まあ、元々、作曲家志望で、肉体的、精神的にきついライブツアーを好んでいなかったドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーの作ったスティーリー・ダンですから、アルバムデビューの頃から基本はアルバム作り、レコーディング主体のグループで、デビューアルバムからスタジオミュージッシャンの起用というのは頻繁で、こちらのアルバム「プリッツェル・ロジック~さわやか革命~」(Pretzel Logic,)もご多分にもれず、メンバー以外に、あの!エリック・クラプトンの「愛しのレイラ」のデレク&ドミノスはじめ多くのセッションをこなしていたドラマーのジム・ゴードン、この後、ボズ・スキャッグスのアルバムでも仕事をし、その後トトを結成するドラマーのジェフ・ポーカロ、キーボードのデイヴィッド・ペイチ 、イーグルスに加入する事になるベーシストのティモシー・B・シュミット等、多くのミュージッシャンが参加しております。

この多くのスタジオ・ミュージッシャンを起用するドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーのアルバム、楽曲作りのやり方は、御本人達が演奏に加わらなければ、ザ・モンキーズやモータウン・レコードと同じようなソレで、演奏に加わっているから、ある時期からブライアン・ウイルソンのザ・ビーチボーイズに近い、別段、目新しい方法論ではなく、アメリカでも日本でもよくあるやり方だったのですが、当時はスタジオミュージッシャンブームであり、情報も乏しい時代だったので、何かマジック、手品のタネを「自分だけは知ってるんだぜ」みたいに、得意になって語ってるマヌケな若者も多かったですね(笑)。

まあ、唯、このやり方をやられると、バンドメンバーは自分の存在価値に疑問を感じるようになり、ザ・ビートルズが解散間際そうだったように、ライブをやらずポール・マッカートニーが他のパートまで多重録音したりするスタジオレコーディングだけの活動になると(皆が嫌がる中、ライブをやろうと言っていたのもポールでしたが)、揉めるわけで、、、それを割り切ってる!ミュージッシャンではなくロックスター、アイドルなら良いのですが、やはりバンドとしては無理が生じるので、スティーリー・ダンが、ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーの二人だけになり、後は全員スタジオミュージッシャンになるのは、当然の成り行きだったかなと、、、。

というわけで、こちら凄まじい邦題のついてた(笑)アルバム「プリッツェル・ロジック~さわやか革命~」(Pretzel Logic,)は、多くの外部のミュージッシャンを起用しておりますが、バンドとして成り立っていた時代の、スティーリー・ダンの傑作アルバムでございます。






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