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1980年代の楽曲なれど、古のロックの王道を知らしめたスウィート・チャイルド・オブ・マイン Guns N' Roses - Sweet Child O' Mine [ガンズンローゼス]



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当サイトの主旨 70's Rock では時代的にはないのですが、ガンズ・アンド・ローゼズの1987年に発売された、2016年現在、全世界で2,800万枚も売り上げたと伝わるアルバム「アペタイト・フォー・ディストラクション」(Appetite for Destruction)が、何故に?当時それほど世界で売れたのか?、、、

ガンズ・アンド・ローゼズは、忘れかけていた70'sロックのスピリッツを、このアルバムで爆発させてたからだと思うわけであります。

それほどこのアルバムは、1980年代当時流行った所謂「産業ロック」や、1970年代末期に登場したエドワード・ヴァン・ヘイレン以降のバカテク、ハイテクギタリストによるギタースタイル、或いは1970年代中期のボストン登場以降確立されたと言える「80'sのロックサウンド」と異なる、言葉は悪いですが当時は「古くさい」、されど「これぞロックの王道!」と世界が感じたほど、強烈にインパクトある、70'sロックテイスト溢れるバンド、楽曲集だったわけであります。

特にこちらシングルカットされ全米1位を記録した「スウィート・チャイルド・オブ・マイン」の、スラッシュのギター。

当時はアームつきフロイトローズ式のギターをかまえ、スペイシーなエコーエフェクトも駆使し、早弾き、トリッキーな奏法に励んでいるギタリストが多かった中、当時はあまり使っているギタリストがいなかったギブソン・レスポールをかまえ、しかもワウワウのソロまでいれ、スペイシーなエコーエフェクト音ではない、正に古の60's、70'sハードロックサウンドをたたきだしていたスラッシュは、多くの世界のギタリスト達にショックを与えたと言っても過言ではなかったでしょう。

それほどガンズ・アンド・ローゼズのこのアルバムは、ハードロック、ロックスピリッツの原点回帰になった、衝撃の1枚だったと言えるわけであります。





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素顔のままで ビリー・ジョエル/Billy Joel - Just The Way You Are [ビリージョエル]





1977年発表の、ビリー・ジョエル通算5枚目のアルバムからのシングルカットされ、日本でも大ヒットした「素顔のままで 」(Just the Way You Are) 。

まあ、日本では実質ビリー・ジョエルが一般的に名を知られるのはこのアルバムからで、何故か?日本独自のシングルカットになった同アルバム収録の「ストレンジャー」が、一般洋楽ポップスチャートは勿論、当時の踊り場、ディスコでも人気になり(オリコン最高位2位)、こちら「素顔のままで 」(Just the Way You Are) 同様、売れに売れ、ビリー・ジョエルは一躍!日本で有名になりました。

勿論、日本に限らずアメリカでも、それ以前は4枚もアルバムを発表してたのですから、それなりにそこそこ日本と違い名は知られてたそうですが、ビリー・ジョエルの名が知れ渡るのはこのアルバムからだったそうで、こちらのアルバムは1978年のグラミー賞にまで輝いてる、70年代後半を代表する1枚。

日本ではよくある話しですが、こちらのアルバムが大ヒットしてから、ビリー・ジョエルの過去のアルバム、楽曲もファンに注目され、特にセカンドアルバムに収録されていた「ピアノマン」は、今でも日本でもよく知られているほど、アルバムは元より「素顔のままで 」(Just the Way You Are) と「ストレンジャー」のシングルヒットの影響で、後追いでロングヒットになった曲であります。




時代的には1976年はアメリカ独立から200周年で、当時の日本の若者は、今の若者には想像もつかないほど!戦後日本のアメリカの占領政策、プロパガンダの大影響で、幼少の頃からアメリカのテレビドラマ&映画&音楽に慣れ親しんでいた事もあり、もの凄く!アメリカナイズされていたので、まあ、よその国の事なのに、我が事のようにアメリカ独立200周年を祝ってた感があり(笑)、ファッションは元より、音楽もボズ・スキャッグスやイーグルス、ドゥービーブラザーズ、リンダ・ロンシュタット等と共にビリー・ジョエルは、そんなアメリカナイズされていた若者達に圧倒的に支持されたわけであります。




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カラパナ 鮮烈のチューブライディング KARAPANA THE ULTIMATE [カラパナ]








まあ、この曲を聴きながら大スクリーンでサーファーのライディングに歓声をあげる(笑)。

60年代の高度成長を経、70年代の田中角栄総理の列島改造論、1980年代の正にバブルに向かって一直線の時代の幕開けのサーファーブームを語らないのは、歴史の捏造になるのでいけません(笑)。当時、東京の公会堂とかでサーファーのライディングムービー上映会とかよくやってたし、所謂カフェバーのハシリになるような店で、同じようなムービーに合わせてカラパナのこの曲はよく使われていました(レコード店、ブティック、サーファーショップ等でも)。

1975年にハワイでデビューしたカラパナは、1977年、日本の中野サンプラザで来日公演を果たし、雑誌「ポパイ」創刊の影響もあり、世はサーファーブームのとっかかり。カラパナは日本の若者達に人気を得るようになるわけですが、まあ、何でもそうですがブームが起きると必ずアンチが生まれますから(笑)、カラパナはアンチサーファーのコたちには逆に目の敵にされていたわけですが、勿論、彼等のやってる音楽や彼等自身に罪はないのですけど、、、。

でも、80年代のバブルに向かって一直線の所謂フュージョンブームの頃には、カラパナはなんとなくそれまでの勢いは日本でなくなっていましたね。サーファーには根強い人気がありましたし、サーファーブームは既にブームではなく、今に続く勢いがあったんですが、ちょっとカラパナの影が薄くなってたのは否めなかったと記憶しております。

それでもカラパナは所謂フュージョンファンとは違う、サーファー、トロピカル系好きの日本のファンには熱い支持を得ていたので、そのファンの規模は小さくなりますが、80年代も90年代もメンバーチェンジ等ありましたが、それなりに日本では人気バンドであり、結成時からのメンバーのマッキー・フェアリーが1999年に獄中自殺(ドラッグ乱用)してしまったのも、ファンには悲痛なニュースだったのを記憶しております。









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バングラデッシュのコンサート ジョージ・ハリスン、エリック・クラプトン George Harrison - While My Guitar Gently Weeps [ジョージハリスン]



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ビートルマニアを兄に持つ西新宿の八百屋の倅、上野クンが当サイト運営者のザ・ビートルズの師匠だったわけですが、その上野クンにザ・ビートルズのジョージ・ハリスンとリンゴ・スターが登場するからという理由で、新宿武蔵野館まで連れていかれた映画が「バングラデッシュのコンサート」。

今と違い情報も乏しい時代だったので、ザ・ビートルズ、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの名前を見つけたら、何でも飛びついてましたね。わりと近年リバイバル上映され、若い女のコに支持された「キャンディ」も、リンゴが出演していたので歌舞伎町まで観にいったし、ヤア!ヤア!ヤア!やヘルプ、イエローサブマリンの名画座での抱き合わせ上映、ビートルズ祭りみたいな上映やってると、新宿でも渋谷でも銀座でも横浜(確か?相鉄スカラ)でも、何処でもすっとんでいっていました。

ファンの方には定説ですが、エリック・クラプトンの心身ともに状態のよくなかった時期の登場ライブなわけですが、当時、中坊だった当サイト運営者はそんな事わかるわけもなく、エリック・クラプトンのルックスにノックアウトされました(笑)。

それまでザ・ビートルズも小学校時代のグループサウンズブームの時も、バンドとして楽しんでいたので、ギタリストがカッコいいと思ったのはこの時が初めてで、理由はエリック・クラプトンのルックス(笑)。とにかくカッコいい、素敵と、まるで女子中高生のごとく眼がハートになったものでした(笑)。

「バングラデシュ・コンサート」(The Concert for Bangla Desh)は、ジョージ・ハリスン主催のチャリティ・コンサート「バングラデシュ難民救済コンサート」を収録した記録映画&サウンドトラックレコードで、まあ、年を追う事に巨大なイベント、1バンド、シンガーの巨大ライブなどが当たり前になりましたので、当時のインパクトは次第に薄れていますが、当時、繰り返しますが情報も乏しかった時代。「バングラデシュ・コンサート」は洋楽ファン、ロックキッズ、ビートルマニア達の間では、壮大にして崇高な記録的な大イベントだったわけであります。






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グランドファンク ギミーシェルター Grand Funk Railroad - Gimme Shelter [グランドファンクレイルロード]



70年前後の日本でも、本国アメリカ同様、爆発的!カリスマ的!人気を誇っていたグランド・ファンク・レイルロードの1971年4月にリリースされた4th アルバム「サバイバル」 (Survival)のB面ラストに収められていた、ストーンズファンにはお馴染みの!ザ・ローリング・ストーンズの「 ギミー・シェルター」(Gimme Shelter)のカバー。

なんとも「威勢がいい」カヴァーヴァージョンであり、グランド・ファンク・レイルロードの真骨頂というかなんと言うか、ストーンズヴァージョンと聴き比べてみると面白いと思います。

本アルバムの1枚前のライブアルバムが初期のグランド・ファンク・レイルロードの人気のピークだったとも言えなくもないので、その残り香が残っていた初期のファンには人気の高い曲ですね。本アルバムの2年後、1973年にアルバム、シングル(全米1位)共に爆発的に売れた!「アメリカン・バンド」 (We're an American Band)から次世代のグランド・ファンク・レイルロードファンが増え、人気は再び日本でもアメリカでも大ブレイクしましたが、こちらもライブアルバムの75年を最後に、グランド・ファンク・レイルロードの人気は、まるでそれ以前の日本のグループサウンズ(GS)ブームのごとく!急激に!下降。1976年には解散(再結成しますが)。

思えば70年代ロックというのは、その成功から衰退まで、非常に!短い期間の「物語」だったと、老いてしみじみ思いまする。







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ヴァン・ヘイレン OH!プリティウーマン Van Halen - (Oh) Pretty Woman [ヴァンへイレン]





1980年もので恐縮。

1978年、衝撃のデビュー作「炎の導火線」(Van Halen)は、全米最高位19位。 プラチナディスクも獲得し、ヴァン・ヘイレンは衝撃のデビューを果たし、日本でも来日公演を成功させ、その後もセカンドアルバム「伝説の爆撃機」(Van Halen II)、サード・アルバム「暗黒の掟」(Women And Children First)、「戒厳令」(Fair Warning)と全米トップ10入りするヒットアルバムを発表し続け、当時のロックキッズ、ギターキッズには、ヴァン・ヘイレン、エドワード・ヴァンヘイレンはカリスマ的な人気を誇っていたわけですが、ロックキッズでもなくギターキッズでもない普通の音楽ファン、洋楽ファン、或いは歌謡曲ファンには、一般的には世界も日本もシングルヒットがないと、グループ名が、良くも悪くも浸透しないのが世の常。

アルバムは好調なれどシングルヒット、例えば全米トップ20のヒットが、1979年の「踊り明かそう」(Dance The Night Away)以来 出なかったヴァン・ヘイレン、久々の!ロイ・オービンソンのカヴァーなれど全米トップ20入りを果たした、1982年のヒット曲!「OH!プリティウーマン」(Oh! Pretty Woman)。

こちらシングルの大ヒットあって!翌年発表のヴァン・ヘイレン初の!全米1位を記録した「ジャンプ」 (Jump)、そしてトップ20入りした「ウェイト」(I'll Wait)、「パナマ 」(Panama)のヒットを収録した名アルバム!「1984」の大ヒット!に繋がる、最高の!プロモーション音源、映像になったと記憶しております[ぴかぴか(新しい)]









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アイ・シャルビー・リリースト/ザ・バンド I shall be releast (Bob Dylan All cast ) 邦訳 -lastwalts [バンド]





ボヴ・ディランが作詞作曲をし、ザ・バンド(当時はザ・ホークス)の演奏で録音した曲として有名であり、又、そのザ・バンドは1968年のデビューアルバム、かの!クリームで一世を風靡したエリック・クラプトンが感銘したという「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」(Music From Big Pink)のB面ラストに、こちらの曲を収録しており、こちらもザ・バンドではお馴染みの「ザ・ウェイト」(The Weight)等と共に、こちらのアルバムの代表曲として有名でございます。

まあ、2013年の今現在、50代半ばから還暦のロック親爺(爺さん?笑)には、1976年、日本でもそれなりに当時はヒットし興行成績も悪くなかったと記憶しております、ザ・バンドの解散ライブを映画にした(監督はマーティーン・スコセッシ)「ラスト・ワルツ」 (The Last Waltz) は、ディランは勿論、参加者全員のコーラスが加わる感動的なフィナーレを飾り、今は親爺(爺さん)でも、当時はロックキッズの若者だった方々は、映画館で感慨深くスクリーンに釘付けになったと思われます。







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山下達郎-CIRCUS TOWN サーカスタウン [山下達郎]



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リアルタイム当時は、殆ど売れなかった山下達郎氏のソロデビュー作、1976年12月25日、クリスマスに発売されたアルバム「サーカス・タウン」(CIRCUS TOWN)の、A面1曲目。アルバムタイトル曲。

間奏のサックスはBS&T末期のメンバーで、後に映画「ブルース・ブラザーズ」にバンドメンバーとして出演していますルイ・マリーニ。知る人ぞ知る、このアルバムはアメリカ録音で、メンバーは皆、アメリカで活躍中だったミュージッシャン達からなる、当時としては珍しかった海外録音アルバム。

シュガー・ベイブとセンチメンタル・シティ・ロマンスのマネジメントを行っていた会社「アワ・ハウス」の牧村憲一氏の薦めで、荻窪ロフトで行われたシュガー・ベイブの解散ライブに行き、そこで初めて目にした山下のライブ・パフォーマンスに感化したRVCの音楽プロデューサー、小杉理宇造氏(現:スマイルカンパニー代表取締役社長。ジャニーズ事務所顧問、ジャニーズ・エンタテイメント代表取締役)は、山下達郎氏のディレクションをさせて欲しいと申し入れ、山下達郎氏の海外録音、自分の要望するプロデューサー、ミュージシャッンの起用条件をのみ実現した、当時としては画期的な(冒険とも言えるが)アルバムが、こちら「サーカス・タウン」(CIRCUS TOWN)。

小杉氏この時30才前後。牧村憲一氏がその1才年上。23才だった山下達郎氏の、それもけっして売れていたミュージッシャン、グループではなかった達郎氏の要請、要望を、よくぞ!聞いて実現したものだと、つくずく感心いたします(それほど達郎氏のセンス、歌唱力&演奏力は当時、突出していた)。

唯、残念ながら当時の一般的な若者達は、一部の洋楽ロックファン、コアな黒人音楽ファンを抜かすと、空前の和製ふぉーくブームとアイドル歌手に感化されていたので、山下達郎氏のやろうとしていた音楽、センスを理解できなかったのと、今現在もそうですが、山下達郎氏はTVに出て積極的にプロモーションをするミュージッシャンではないので(出ない。嫌い)、アルバムは商業的には「失敗」にリアルタイムは終っており、オリコントップ30にアルバムが入るのは、「ライドオンタイム」の商業的大成功、そして例の「クルスマスイブ」の大人気で「山下達郎」という名前が一般的になる、発売から26年も後の2002年盤であり、リアルタイム若者だった層ではなく、2世代ぐらい後の層の再評価によるものだったのは、リアルタイム若者だった人達は、恥なければいけないと、当サイト運営者は真剣に!思っております。






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ロッド・スチュワート ホット・レッグス Rod Stewart - Hot Legs (Official Video) [フェイセズ ロッドスチュワート]



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なかなかセクシーなPVだったので、印象に残っておりますが(笑)、それ以前からソロ契約もレコード会社と結んでいたロッド・スチュワートが1975年、在籍していたフェイセズの解散後アメリカに渡り(イギリスの重税から逃れる為)、コアなR&Bファンには今も信奉者の多いスタックス・レーベルの専属バックバンド、ブッカー・T&ザ・MG'sのスティーヴ・クロッパー(ブルースブラザーズでも有名)等、腕利きミュージッシャンを集め、同じくR&B、ジャズ、そしてクリーム、エリック・クラプトンのアルバム等を手がけたトム・ダウトのプロデュースの元、制作されたアルバム「アトランティック・クロッシング」(Atlantic Crossing)、「ナイト・オン・ザ・タウン」(A Night on the Town)が、75年、76年に連続大ヒット!。

シングルカットされた「セイリング」(Sailing)、「今夜きめよう」(Tonight's the Night (Gonna Be Alright))も大ヒット(今夜きめようは全米8週1位)。乗りに乗っていたロッド・スチュワートが1977 年に放った、こちらはアルバム「明日へのキック・オフ」(Foot Loose & Fancy Free)のA面1曲目を飾った「ホット・レッグス」(Hot Legs)。

この頃からロッドは自身のレギュラーバンドを率いており、ドラムにはジェフ・ベックが第一期ジェフ・ベックグループ時代のロッド・スチュワートをボーカルにしたバンドを作ろうとするも、ロッドに断られ、結局、ベックボガード&アピス(BB&A)になった、そのBB&AのA、カーマイン・アピスが加わり、べースには同じくジェフ・ベックがBB&A崩壊後制作、ギターインストアルバムとしては記録的な、爆発的大ヒットになったアルバム「ギター殺人者の凱旋」(ブロウ・バイ・ブロウ。Blow by Blow)で演奏していたフィル・チェン。

ジェフ・ベック絡みが3人揃っていた事もあり、当時の日本では「ロックファン=ギタリストファン」が主流でしたので、この当時のロッドと彼のバンドは、とてもロックキッズ、ギターキッズに注目されており、このアルバムはとても売れたと記憶しております。



ロッド・スチュワートが日本で、ロックキッズ、ギターキッズのみならず一般的に知られるようになるのは、空前のディスコブームに突入した時期、1978年のこの次のアルバム「スーパースターはブロンドがお好き」(Blondes Have More Fun)収録の「アイム・セクシー」(Da Ya Think I'm Sexy?)のバカ売れからで、それ以前からロックキッズ、ギターキッズには根強い人気を誇っていたロッド・スチュワートなれど、彼のソロアルバムはアメリカ、イギリスと違い、日本のオリコンチャートのトップ20入りするほど売れた事は、それまで実は!全くなかったんですね(全英、北欧国で1位、全米で2位だった「ナイト・オン・ザ・タウン」(A Night on the Town)は日本では最高位70位)。

こちらホット・レッグス」(Hot Legs)収録の「明日へのキック・オフ」(Foot Loose & Fancy Free)が初めて!オリコントップ20入りし、そして「スーパースターはブロンドがお好き」(Blondes Have More Fun)では、並みいる!日本の歌謡芸能の世界の方々を押しのけ!堂々オリコン2位という、驚異的な売れ方をし、それまでのロックキッズ、ギターキッズだけでなく、日本全国津々浦々まで!ロッド・スチュワートは名を知らしめるようになったのでありました。






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ディープ・パープル 嵐の女 Deep Purple Lady Double Dealer [ディープパープル レインボウ]



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再結成前の、実質リッチー・ブラックモア在籍時のラストアルバムになった、1974年発表の「嵐の使者」(Stormbringer)から、日本ではシングルカットされ、アルバム、シングル共に大ヒットした「紫の炎」(Burn)の興奮さめやらぬ時期だった事もあり、それなりに当時は売れた!「嵐の女」(Lady Double Dealer)。

当サイト運営者、個人的には所謂「第三期」と言われる、この時期の2枚のアルバム、「紫の炎」(Burn)「嵐の使者」(Stormbringer)は、良い曲が多いと感じるので好きであります。

「嵐の女」(Lady Double Dealer)は、正に!ディープ・パープルお得意の!疾走感溢れるハードロックナンバーであり、歌いやすい=覚えやすいテーマリフは勿論、歌メロのサビは「紫の炎」(Burn)のギターソロの後半部の影響か?と思わせ「にやっ」とさせてくれますし、その後のリッチー・ブラックモアの悪く言えば「手癖」、良く言えば「お得意」のフレーズもギターソロで随所に聴こえる、当時の日本でのそれなりのヒット状況を知る身、「パープル健在なり!」と思った者としては、メンバーの確執、結局リッチー・ブラックモア脱退を招いてしまった時期でもあるので、その後のアルバム、シングルの過小評価(ディープ・パープルのメンバーも)は、寂しいものを感じまする。

まあ、結局、このアルバム制作中に、その後のレインボウ路線、ハードロック、ヘビーメタル路線を突っ走りたかったリッチー・ブラックモアと、ソウル、ファンキーミュージックをバンドに持ち込みたがっていたと伝わる、デイヴィッド・カヴァデールとグレン・ヒューズとの間で、決定的な確執があったのでしょう。予定していたアメリカツアーは、アルバム発売後の大事な時期なのに!中止になり、リッチーは一人、他のバンドメンバー(エルフ)とセッション、レコーディングをはじめ、ディープ・パープルを脱退。そのメンバーとレインボウを結成するわけですね。









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