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アース・ウインド&ファイヤー 灼熱の狂宴 Earth, Wind & Fire Power, Africano, Happy Feelin's, Live in 75 [アースウィンド&ファイヤー]




1975年発売の2枚組ライブアルバム「灼熱の狂宴」(Gratitude)から、1枚目のA面を飾った「アフリカーノ」 (Africano)、「パワー」 (Power)、「ヤーニン・ラーニン」 (Yearnin' Learnin')と続く、グルーヴ感溢れる演奏!アル・マッケイのリズムギターも誠に!心地良い!。アース、アル・マッケイここにあり!の名アルバムでございます。

1970年代初頭のクロスオーバー寄りのサウンドの頃は、商業的に成功したと言えないアースでしたが、1974年のアルバム「太陽の化身」(Open Our Eyes)あたりから、よりファンク色を全面にだし、アルバムA面1曲目の「宇宙よりの使者」(Mighty Mighty) 、翌1975年の「暗黒への挑戦」(That's the Way of the World)から、同じくA面1曲目の「シャイニング・スター」(Shining Star)が、 当時は未だ踊り場シーン、コアな黒人音楽ファンの間でのムーブメントでしたが、ジェームス・ブラウンのThe J.B.'sやクール&ザ・ギャング、オハイオ・プレイヤーズ、BTエクスプレス等の大型ファンクバンドの所謂ニューファンクムーブメントの最中受け、アースの名前は日本でも知られるようになっていきました。

そして、同じく1975年発表されたこのライブアルバムからシングルカットされた、「シング・ア・ソング」 (Sing a Song)も踊り場のDJに使われ、アルバムもコアなファンクファンに支持され、アースの人気は爆発前夜。

1976年のアルバム「魂(Spirit)からのシングルカット「ゲッタウェイ」(Getaway)が、踊り場で人気になり、1977年、アルバム「太陽神」(All 'N All)からの「宇宙のファンタジー」(Fantasy)が、踊り場シーンのみならず、一般的なポップスファンにも好評を得、日本で大ヒット!。アースの名前は遂に!日本中で知られるようになったわけであります。

ただ、それまで、こちらのアルバム「灼熱の狂宴」(Gratitude)前後の、強烈なファンクスピリッツ溢れる演奏をしていたアースを好んでいたコアな黒人音楽ファンや踊り場フリークたちは、この後、空前のディスコブームが吹き荒れる最中、今も当時のディスコフリークには人気の高い曲々なれど、アースもそのブームに「迎合してる。媚びてる」と、アースのサウンドが極端なディスコサウンドに変わっていった事を、批判中傷するようになり、このディスコサウンドのアースファンと、それ以前のアースファンは、若い人からみると同じ「おっちゃん、おばちゃん」でも、分離してるとみて間違いないですね。

アース、モーリス・ホワイトの「白人、大衆迎合」路線は、Pファンクのジョージ・クリントンも又、否定的でしたが、結局、80年代になってアースの「売り」でもあった管楽器隊をひっこめ、完全な電子楽器によるディスコサウンド路線を打ち出してから、アースの人気は頭うちになってしまい、このへんは墓穴を掘ってしまった感もなきにしも非ずでしたが、このアルバム当時のアースの演奏力、グルーヴは、誠に!衝撃でありました。






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アース・ウィンド&ファイアー 宇宙よりの使者(マイティマイティ)Mighty Mighty/Earth, Wind & Fire [アースウィンド&ファイヤー]





1971年のデビューアルバム後、「愛の伝道師」「地球最後の日」「ブラックロック革命→ヘッド・トゥ・ザ・スカイ」と、凄まじく仰々しい邦題がつく(笑)、まあ、ジャズファンク、クロスオーバー的なアルバムを発表していたアース・ウインド&ファイヤーなれど、商業的な大成功には至らず(特に日本では)、こちらはそんなアースがファンキー路線に方向転換した1974年の「太陽の化身」(Open Our Eyes)の自信の!A面1曲目。

後の大ヒット曲!「宇宙のファンタジー」以前から宇宙という邦題はついていた!「宇宙よりの使者」。まあ、「マイティマイティ」(Mighty Mighty)という題名で昨今のアースファンにもお馴染みの人気の高いナンバー。

まあ、その前のアルバムを「ブラックロック革命」と邦題タイトルにつけてた所が正に!時代であり、ジャズファンクでもクロスオーバーでも、ましてやフュージョンでもない「ブラックロック」、、、当時は黒人音楽が未だ一般的には今ほど認知されておらず洋楽はポップスに続いてニューロックが人気でしたから、商業的にイマイチ、パッとしなかったアースをレコード会社の営業戦略で「ブラックロック」と謳って売り込んだのでしょうが、残念ながらアースは未だ!ブレイクは出来なかったわけです。

ブレイク前のアース・ウィンド&ファイヤーは、黒人社会で人気絶頂だった!ウォーの前座をやったり、白人ロックファンやメキシコ系に人気抜群だったサンタナの前座をやったり、ディープ・パープルファンにはお馴染みの映像&音源である、カリフォルニアジャムにも参加し、認知度をあげようという企業努力があったわけで(そういう営業方針、白人マーケットを狙った音楽性を、Pファンクのジョージ・クリントンには辛辣に批判されていたとか)、こちらアルバム「太陽の化身」(Open Our Eyes)の「宇宙よりの使者」(マイティマイティ、Mighty Mighty)は、1974年のカリフォルニアジャムの時期とリンクします。

おそらく日本の踊り場でアースの楽曲が使われたのは、その「ブラックロック革命」の次のアルバムからの、こちら「宇宙よりの使者」(マイティマイティ、Mighty Mighty)が最初だと思われます。

ただ、同時期、日本の踊り場デビューを果たし、今もダンクラファンに人気の高いKC&ザ・サンシャインバンドの「ファンキーホーン」ほど支持はされず、ウォーやジェームス・ブラウン、グラハム・セントラルステイション等のように、コアなファンクファンにも支持されず、同じく新興ファンク勢力だったクール&ザ・ギャング、オハイオ・プレイヤーズ、BTエクスプレスほどアースというバンドや、楽曲「宇宙よりの使者」(マイティマイティ、Mighty Mighty)が踊り場ファンに浸透していたという記憶は、私的にはありませんね、、、。

アースの人気が先ず!踊り場で、そして日本全国で確実になるのは、もう少し時間がかかったと記憶しております。






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