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ロンドン・コーリング ザ・クラッシュ London calling-The clash [クラッシュ]





セックス・ピストルズの所でも触れておりますが、日本ではリアルタイム70年代に、音楽評論家、レコード会社が随分!力を入れておりましたが、近年「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」で映画化された、1979年イギリス首相になったマーガレット・サッチャーが徹底した経済政策と、1982年のフォークランド紛争の勝利によりイギリスが活気を取り戻す迄、非常にイギリスは経済状態が悪く(映画にも描かれています)失業者、離職者が溢れる大不況、就職出来ない若者達が悲鳴をあげていたのに対し、日本は高度成長から後にバブルと言われる時代に一直線、選ばなければどんなバカでも普通に就職できた、両国の背景のあまりの違いもあり、イギリスと違い実際にはパンクムーブメントは日本では起きておらず、パンクが日本で盛り上がるのは何故か?1980年代になってからでありました。

ザ・クラッシュはイギリスのパンクムーブメントの最中、アルバム「白い暴動」 (The Clash)でデビュー。日本でも音楽評論家とレコード会社はセックス・ピストルズ同様、相当!プッシュしており、パンクムーブメントを煽りに煽ったので、認知度はロックファン、洋楽ファンには高かったのですが、パンクムーブメントはリアルタイム日本では起きませんでしたので、実際にザ・クラッシュが日本で商業的にも確固たる地位を築くのは、1979年末発表された、パンク色が薄れ、ロカビリーや1960年代風ポップ・ソング、R&B、スカ、ハードロック、レゲエ等、広い音楽性を取り入れたアルバム「ロンドン・コーリング 」(London Calling)からだったと記憶しております。

イギリスと日本のリアルタイムの「お国事情」の違い同様、日本は英語圏ではないので英語で政治色濃いメッセージソングを歌われても、なかなかそれは伝わらないので、洋楽、ロックファンの大半はサウンド指向、特に当時のロックファン、プレイヤーサイドの若者達はテクニック指向であり、クロスオーバー(後のフュージョン)派かハードロック(ヘビーメタル)派にだいたい別れており、パンクはある種「バカにされていた」所もあり、当時の若者達はパンクを演奏しようという気配は殆どありませんでした(例外は別にして)。

パンクというより「ニューウエイブ」という言葉が80年前後になると流行り、サウンド指向の洋楽ファン、ロックファンに、「ロンドン・コーリング 」(London Calling)のザ・クラッシュは、ザ・ポリス同様、見事に受け入れられ、更に前出のサッチャー首相の「政治」によってイギリスは活気を取り戻し、フォークランド紛争の勝利により浮かれ気分にもなったせいか?ニューウエイブから今度はニューロマンチックなるファッショナブルでポップなものが流行りだし(ザ・クラッシュは1986年に解散)、結局、80年代の日本のバンドブームは、スピリッツは殆どパンクとは無関係、後にバブルと言われる時代真っ盛りの中、パンクというフォーマットを仮りたニューロマンチックの影響でファッショナブルでポップなバンドを、クロスオーバー(フュージョン)とハードロック(ヘビーメタル)のテクニック的影響下にあった若者達が演奏し、矢沢永吉氏の「成り上がり」を目指したムーブメントだったと言えなくもないわけであります。






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