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カラパナ 鮮烈のチューブライディング KARAPANA THE ULTIMATE [カラパナ]








まあ、この曲を聴きながら大スクリーンでサーファーのライディングに歓声をあげる(笑)。

60年代の高度成長を経、70年代の田中角栄総理の列島改造論、1980年代の正にバブルに向かって一直線の時代の幕開けのサーファーブームを語らないのは、歴史の捏造になるのでいけません(笑)。当時、東京の公会堂とかでサーファーのライディングムービー上映会とかよくやってたし、所謂カフェバーのハシリになるような店で、同じようなムービーに合わせてカラパナのこの曲はよく使われていました(レコード店、ブティック、サーファーショップ等でも)。

1975年にハワイでデビューしたカラパナは、1977年、日本の中野サンプラザで来日公演を果たし、雑誌「ポパイ」創刊の影響もあり、世はサーファーブームのとっかかり。カラパナは日本の若者達に人気を得るようになるわけですが、まあ、何でもそうですがブームが起きると必ずアンチが生まれますから(笑)、カラパナはアンチサーファーのコたちには逆に目の敵にされていたわけですが、勿論、彼等のやってる音楽や彼等自身に罪はないのですけど、、、。

でも、80年代のバブルに向かって一直線の所謂フュージョンブームの頃には、カラパナはなんとなくそれまでの勢いは日本でなくなっていましたね。サーファーには根強い人気がありましたし、サーファーブームは既にブームではなく、今に続く勢いがあったんですが、ちょっとカラパナの影が薄くなってたのは否めなかったと記憶しております。

それでもカラパナは所謂フュージョンファンとは違う、サーファー、トロピカル系好きの日本のファンには熱い支持を得ていたので、そのファンの規模は小さくなりますが、80年代も90年代もメンバーチェンジ等ありましたが、それなりに日本では人気バンドであり、結成時からのメンバーのマッキー・フェアリーが1999年に獄中自殺(ドラッグ乱用)してしまったのも、ファンには悲痛なニュースだったのを記憶しております。









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カラパナ ワイキキの熱い砂/ブラックサンド Kalapana - Black Sand [カラパナ]





1975年にファーストアルバム「ワイキキの青い空」(Kalapana)でデビューし、1970年代後半から80年代初頭にかけ日本でとても人気の高かったハワイのバンド、カラパナの「ワイキキの熱い砂」(Black Sand)。

時代背景として1976年に雑誌「ポパイ」が創刊。同年のアメリカ合衆国建国200周年のお祝いムードも重なり、「ポパイ」発LA、ハワイ、サーファームーブメントが日本で起き、ハワイのバンドなれどLAっぽさも強いカラパナのサウンド、ルックス、ファッション、雰囲気は見事にこのムーブメントに乗ったわけで、あと、後にフュージョンと呼ばれる折からのクロスオーバーブームが、インストルメンタルもやるカラパナには、人気の追い風になっておりました。

まあ、日本ではヒットチャートのトップを突っ走る楽曲があったとか、ラジオのトップ10番組の常連グループだったわけではなく、ハワイ&アメリカ好きやディスコ好きやサーファーに好まれ、また「そういう奴らが」好んでる音楽、グループらしいぜ的な(笑)、ある種の「そういう奴ら」に対するアンチテーゼ、誹謗中傷的な口コミで名前が知れ渡ったという感じで、1977年の初来日も中野サンプラザ公演で、初来日いきなり!日本武道館公演というほどの人気があったわけでは、カラパナはなかったですね。

アメリカ本土に活動拠点を移しますが、必ずしも成功したとは言いずらく、80年代に入ると自然消滅したという印象が強いです。

それでもサーファーが一過性のブームではなく、完全に日本で根ずいた文化に1980年代はなっておりましたし、又、一発屋的な人気グループでなかったのが幸いし、カラパナはそのサウンドも存在も日本では根強い人気があり1986年に再活動。メンバーは変わりましたが、EXILE、安室奈美恵さんを初めとしたアーティストのプロデュース・編曲・セッションでファンにはお馴染みの日本人ベーシスト、佐野健二氏が加入、1987年に日本のポニーキャニオンと契約を結び現在に至っております。









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