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セックス・ピストルズ ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン Sex Pistols - God Save the Queen (Studio) [セックスピストルズ]





今、聴けばR&R(ロック)の極めて王道サウンドなわけですが、1977年登場のセックス・ピストルズの「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」(God Save the Queen) は、当時アメリカと日本では、特に日本は強力なレコード業界と音楽評論家のプッシュもありましたが、殆ど受け入れられる事がなかったと記憶しております。

当時、日本では大ブームだったグラムロックのTレックスの日本公演の評判の悪さ(所謂、下手論)が尾を引いたと、当サイト運営者は確信を持っておりますが、洋の東西問わずロックの評価基準が「テクニック重視」になっており、グラムロックが終って今度はパンクですか?みたいな嘲笑的な冷淡な空気がパンクに対し、当時の日本の洋楽ロックファン、ギターキッズの間ではあり、かの!ザ・ローリング・ストーンズですら!今程の評価は日本では当時うけてはいなかった(所謂、下手論)。

「テクニック重視」は結果オーライで、70年代後半から80年代初頭、大ブレイクしたクロスオーバー、フュージョンブーム、ヘビーメタル、LAメタル、ジャパメタブームの、両極端なテクニカルな音楽が花開いたので悪い事ではなかったのですが、セックスピストルズ登場頃の日本は、ロックスピリッツ、ビート、グルーヴ、スイングのリズムを一番軽視していた時代だったのではないか?と、当サイト運営者は日々、回想しております(ファンクの16ビートは、逆にとても高い評価を得ていた)。



イギリスはアメリカ共々、先の大戦の戦勝国の印象が戦後日本人には強いですが、先の大戦後、全ての植民地を失い、世界の覇者は新興国のアメリカ合衆国と共産圏のソビエト連邦に握られ、それ以前の大英帝国は没落したイギリスが、ザ・ビートルズ登場以降、ブリティッシュロックの盛況により、ポップカルチャーではその面目躍起しておりましたが、セックス・ピストルズ登場頃のイギリス国内は、未曾有の大不況だったと。

一方、世界の覇者アメリカは、ベトナムの傷痕だなんだセンチメンタリズムに言われておりましたし、今も続く所謂「双子の赤字」も表面化しておりましたが、1976年の建国200年に未だ涌いていた1977年は時期、日本はこれから高度成長からバブルに向かって一直線の、いけいけどんどんの時代。イギリスとアメリカと日本は、微妙に国内の若者事情が違っていた。これがセックス・ピストルズのある種、イギリスでセンセーナルにデビューできたラッキーであり、アメリカ、日本ではけっしてウケてはいなかった不幸と言える「お国事情」。



結局、勢いに乗りセックス・ピストルズは、けっして商業的に受け入れられていなかったアメリカで初ツアーを決定、保守的なアメリカ南部からツアーを始めたのも失敗の原因なのでしょうか?、ツアーの最中(サンフランシスコ、ウインターランド公演後)、ジョニー・ロットンがバンドを脱退。実質上バンドは終焉となり、日本には来日公演もないままバンドは崩壊したわけであります(初来日は再結成後の1996年)。

セックス・ピストルズ他、パンク、モッズリバイバルが普通に日本の洋楽ファン、ギターキッズ等に正当な評価をされウケるようになるのは、次世代の80年代になってからで、既にその時、セックス・ピストルズは解散していたのも、後追いファンには「伝説」感が強かったのかも知れないですね。

あと、1979年、バンド解散後、薬物の過剰摂取により21歳で死亡したシド・ヴィシャス、その恋人だった同じく20際で死亡した(殺害された?)ナンシー・ローラ・スパンゲンの物語も、80年代の次世代の若者達には「ロック伝説」たる壮絶なる物語に感じたのも、大きいかな?と思っております。






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セックス・ピストルズ TV初出演 とリアルタイム日本の空気について [セックスピストルズ]





1976年11月、イギリスから「セックス・ピストルズ」という名前でライブデビューした彼等は、日本でも「パンク」という言葉を有名にした先駆者でしたが、マスメディアや一部の音楽ファンが騒ぐほど、リアルタイムの日本では「パンク」は、後世の後追いの若者達にパンク伝説になっているほどには、同世代の若者達に支持される事はなかったと記憶しております。

これはアメリカ合衆国の保護領、属国として歩んできた戦後日本の背景。時代は正に高度成長から、後にバブルと言われる時代にまっしぐらだった!いけいけどんどん。2012年の今現在と違い、若者はどんなバカでも選ばなければ正社員就職など簡単に出来た日本は時代。

一方、イギリスは1979年にイギリス経済復活、小さな政府への転換を公約に掲げ、保守党を大勝に導く「鉄の女」サッチャー登場まで、2012年の今の日本よりも酷い深刻な経済常態で、若者は大学を出ても就職もない、失業者も溢れる凄まじい不況に陥っていた時代。

この時代背景を持つ日英の若者が、同じ価値観を持つなど不可能だったのが、話題性のわりにリアルタイム、パンクは日本ではけっして商業的には成功していなかった原因だと思われます。本当に価値観を共有できるのは今の日本の若者達だと思うのですが、日本人の美徳なのか?「やせ我慢」「武士は食わねど」がある日本人の血なのか?これだけのリストラの雨霰、若者の就職難、大不況の日本でも、セックス・ピストルズのようなムーブメントは日本では起きません。

日本でパンクムーブメントが花開くのは、バブル突入の80年代も半ばになってからで、皮肉な事に空前の!好景気に浮かれてた時代背景のアンチテーゼで盛り上がり、そしてバンドブームも起き、商業的にも成功したバンドも幾つも出たわけで、1981年結成、1988年解散のBOØWYはその最たる成功例バンドでありました。



日本人ながら日本人の血というのは、誠に面白いと感じます。本当に戦後最大の大不況の昨今や戦時中は「耐えて耐えて」、景気の良かった高度成長時代には70年前後には学生運動、80年代にはパンクムーブメントが盛り上がる不思議。コレは一体何なのか?と、日本人ながら今も謎の当サイト管理人であります。

ただしこのセックス・ピストルズが提示したサウンド、髪型、ファッション、ステージングは、今の若い世代にはロックの王道と思われる普通のソレに感じると思いますが、当時の感覚ではかなり!異端、違和感のあるソレであり、セックス・ピストルズがその後のロックに与えた影響というのは、無視できるものではないのだけは、確かでございます。








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