クロコダイルロック Elton John ~ Crocodile Rock [エルトンジョン]
1973年発表のアルバム「ピアニストを撃つな!」(Don't Shoot Me I'm Only the Piano Player)の先行シングルとして1972年10月に発売された「クロコダイル・ロック」 (Crocodile Rock) 。
ヒットメーカー!エルトン・ジョン初の全米1位はこの曲であり、折からのR&Rリバイバルの空気盛り上がる中、見事に乗って売れに売れまくった、日本でもその名を不動のものにした会心の!ご機嫌な!R&Rナンバー。
この後、2011年、経済誌フォーブス誌「世界中で最も稼いでいるミュージシャン」によりますと、エルトン・ジョンは1億ドル(日本円で約80億円)で3位にランク。そのとっかかりの快進撃が、この曲ではじまったのであります。
4歳の頃からピアノを弾き始め、エルトン・ジョンのピアノ教師によると1度聴いただけのフランツ・ヨーゼフ・ハイドンの楽曲を完璧に弾くことができたという、彼は神童だったのであります。11歳の頃に王立音楽院に合格。ヨハン・ゼバスティアン・バッハやフレデリック・ショパンの演奏を得意としてたそうな正に!神童。
その神童がR&Rに痺れ、それをやる所がエルトン・ジョンの素敵な所でございます。
しかし神童、天才、富と名声を得るエルトン・ジョンも同性愛者、なれど女性と結婚離婚後、薬物とアルコール依存症、過食症の為、1990年には更生施設に入院。1994年に初めてエルトン・ジョンとジョイント・ツアーを行ったビリー・ジョエルもアルコール依存症、鬱病を病んでるようで、ほんに人生は色々でございます、、、。
土曜の夜は僕の生きがい Elton John - Saturday Night's Alright For Fighting [エルトンジョン]
1972年の「ホンキー・シャトー」(Honky Château以降アルバムが7枚連続全米首位を記録。1975年には「キャプテン・ファンタスティック」Captain Fantastic and the Brown Dirt Cowboyで全米ビルボードのアルバムチャート史上初の!初登場1位を記録した、商業的にも人気絶頂だった頃のエルトン・ジョンが放った世界的なR&Rリバイバルブーム、日本と英国ではグラムロックも流行っていた1973年のアルバム「黄昏のレンガ路」Goodbye Yellow Brick Roadからのシングルヒット、「土曜の夜は僕の生きがい」Saturday Night's Alright For Fighting。他のシングル、アルバム同様、日本でも大ヒットいたしました。
ちなみにこの年にアメリカで、フランス・F・コッポラ製作、ジョージ・ルーカス監督の「アメリカン・グラフィティ」が製作(日本での上映は1974年12月より)されているのは、音楽的なR&Rリバイバルブームに関係があったと考えても、良いのではないでしょうか?。
日本でアカデミックなピアノ教育を受けてる受けた人は、R&Rを嫌い軽視する傾向がなきにしもあらずですが、エルトン・ジョンは4歳の頃からピアノを弾き始め、神童と呼ばれるほど、耳で聴いた如何なるメロディーも演奏することができたそうで、11歳の頃に王立音楽院に合格していても、R&R好き、ライブでは派手なパフォーマンスつきでR&Rをやるんですね。
勿論、エルトン・ジョンのバラードも秀逸な名作が多く、このへんメロディメーカーと言われても、自分はロックンローラーであると断言するポール・マッカートニーと同じで、民族性の違いなのでしょうか?、英国人、英国ロッカーってカッコイイな、音楽の造形も懐も深いなと若い頃から感じておりました。