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ハンブルパイ ナチュラル・ボーン・ブギー Humble Pie - Natural born boogie 1969 [ピーターフランプトン ハンブルパイ]





かの!レッド・ツエッペリン結成時、ジミー・ペイジの構想では当初ボーカリストには、スティーヴ・ウィンウッドとスティーヴ・マリオットを候補にあげていたとロック伝説にある、当時はイギリスにおける最良のロック&ソウル・ヴォーカリストとして広く賞賛されていたスティーヴ・マリオット。

既にスモール・フェイセスで人気を得ており、又、契約の問題もあり、ジミー・ペイジはスティーヴ・マリオットのボーカリスト起用は断念いたしますが、ジミー・ペイジの計画通り、ロバート・プラントではなくスティーヴ・マリオットがレッド・ツエッペリンのボーカリストになっていたら、ロックの歴史もレッド・ツエッペリンの歴史も、又、ロバート・プラント、そしてスティーヴ・マリオットの人生も変わっていた事でしょう。されどそれは神のみぞ知る仕業、、、。

スティーヴ・マリオットはスモール・フェイセスを脱退。若きピーター・フランプトンと、こちら当時流行だった所謂スーパーバンド「ハンブルパイ」を結成。

「ハンブルパイ」はその後のTレックスのサウンドにも通じなくもない、こちら「ナチュラル・ボーン・ブギー 」( Natural born boogie) を全米チャート上位にランクインさせるヒットを放ち大成功。スティーヴ・マリオットが抜けたスモール・フェイセスは、スティーヴ・マリオットの後がまにピーター・フランプトンを誘ったそうですが(当然、ハンブルパイ結成しますから断られます)、最初、ピーター・フランプトンをスモール・フェイセスに誘って他のメンバーに断られたのは、スティーヴ・マリオットの方で、じゃあ二人で新しいバンドを作ろうとピーター・フランプトンがスティーヴ・マリオットを誘って作ったのが「ハンブルパイ」。

このへん、ちょっと複雑でございます。



結局スモール・フェイセスは、ジェフ・ベックグループをクビになったロン・ウッドと、その後、ジェフのニューバンド(結果的にロッド抜きのBB&Aのトリオになるバンド)の要請を断ったロッド・スチュワートが加入。この当時、イギリスロックシーンは、スティーヴ・マリオットの動向が、かなり他の後に「ロック伝説」の巨匠になるバンド、ミュージッシャンの人生を左右してるのが、わかります。

既にピーター・フランプトンは抜けていた(音楽性の違いとか)「ハンブルパイ」は1973年来日。東京、大坂、名古屋でライブを行っている程、当時のニューロックファンには評価の高いバンドで、スティーヴ・マリオットは「ハンブルパイ」解散後、日本の「クリエイション」にシンガーとして加入するという噂もあったほど、日本でも絶大な!人気を誇っていたシンガーでありました。

が、スティーヴ・マリオットがシンガーで加入してたかも知れないレッド・ツエッペリンの怒濤の快進撃!、スティーヴ・マリオットが在籍していたスモール・フェイセスはフェイセズになり、バンドでもソロでもロッド・スチュワートは大成功。ピーター・フランプトンもソロで大ヒットを飛ばした事を思うと、「ハンブルパイ」解散後のスティーヴ・マリオットの影の薄さったらなかったと記憶しております。

1991年4月20日、自宅で「寝タバコ」による悲劇的な焼死を遂げたスティーヴ・マリオットは、ピーター・フランプトンと「ハンブルパイ」再結成を計画していたとか。




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ショーミーザウェイ Peter Frampton - Show Me The Way (Live Midnight Special 1975).avi [ピーターフランプトン ハンブルパイ]





英国で、美少年であるが故にザ・ハードというバンドで、既に60年代後半からティーンエイジャーの人気者だったピーター・フランプトンは、アイドル扱いに嫌気がさし、英国労働者階級の若者達、非行少年達に圧倒的人気を誇っていたモッズの代表的バンド、スモール・フェイセスのスティーヴ・マリオット(かつて子役俳優の人気者だったから、アイドル人気のフランプトンと『冗談じゃねーよな』と意気投合したのかも?。管理人の独断の予測で何の資料はございません。あしからず。汗)接近。ハードを脱退するフランプトンと時機を同じくグループを脱退したマリオット達と、古のロックフリーク達にはお馴染み!ハンブル・パイを結成。

ちなみにジミー・ペイジは同時期、レッドツエッペリン結成時の構想のボーカルは、スティーヴ・ウィンウッドか?このスティーブ・マリオットだったと言われておりますし、スモール・フェイセスは脱退した人気者のマリオットのかわりに、ジェフ・ベック・グループをクビになっていたロッド・スチュアートとロン・ウッドを加え、新生フェイセズを結成。フランプトン、マリオットの人気者二人の二枚看板の『スーパーグループ』ハンブルパイ結成は、後から思えばマリオットにとっても人生の分岐点だったわけですね。

二枚看板の『スーパーグループ』の筈なれど、フランプトンはブルージーでソウルフルなマリオット色の強くなるハンブルパイで、居場所をなくし72年に脱退。


Frampton Comes Alive (25th Dlx Ann Edt)
1974年から完全に活動の場をアメリカに移行したフランプトンは、精力的に!草の根全米ツアーを開始。1976年、この努力の結晶!全米ツアーを収録した2枚組のライブ・アルバム『フランプトン・カムズ・アライブ (Frampton Comes Alive!)』が全米1位、全世界で1,000万枚を売り上げる驚異的な大ヒット作となり、こちらはそのアルバムから日本でもシングルカットされ大ヒット!した「ショーミーザウェイ」Show me the way。

1977年には、ビー・ジーズのギブ兄弟らと映画「サージェント・ペパーズ」にも出演したり、もの凄い人気者になったフランプトンなれど、業界の大人達に巧妙にレコード印税やコンサート収益など殆どを搾取され、あまり金銭的には実は恵まれてなかったそうで、このへんはスティーヴ・マリオットもそうだったそうで、当時のビッグビジネスになったロック産業は、この手の嫌な話しがごろごろしてます。






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ピーター・フランプトン


グレイテスト・ヒッツ

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