ハードラック・ウーマン - キッス Hard Luck Woman - Kiss [キッス]
最初、ラジオか?純喫茶の有線放送で聴いた時、ロッド・スチュワートの新曲かな?と思った(笑)、1976発表のアルバム「地獄のロックファイアー」(Rock and Roll Over)からのシングルカット。全米チャートでもトップ20入りしたヒット曲。「ハードラック・ウーマン 」(Hard Luck Woman)。
キッスは翌年には初来日。大阪厚生年金会館、日本武道館(NHKで放映されました)などを超満員。音楽雑誌「ミュージックライフ」がクィーン、エアロスミスと共にとても力を入れプッシュしていたのも功を奏し、完全に日本で火がついたのが、1976~77年だったと記憶しております。
で、こちらドラマーのピーター・クリスのハスキーボイスが魅力的な「ハードラック・ウーマン 」(Hard Luck Woman)はハードロック(R&R)ナンバーと違い、わりと日本人好みの楽曲でもあり、それまでキッスに興味のない層、ハードロック(R&R)は好きではない層、普通の洋楽ポップスファンにも好評を得たわけですが、作詞作曲のポール・スタンレーはロッド・スチュワートに歌ってもらいたいと思い作ったとか、、、。
1970年前後から、まあ、わりとアンダーグラウンド的に根強い人気を誇っていたニューロックシーンが、1976年頃にはかなり衰退してきており、原因はニューロックファンが少年少女ではなくなり、音楽から遠ざかりつつあった。ニューロック(ブルースロック、ハードロック、プログレ)のバンドそのものが解散、消滅、人気凋落が目立ってきた、この2つにあり、ディープ・パープルが解散するのも(再結成しますが)1976年。グランドファンクの解散も1976年(再結成しますが)。
レッド・ツエッペリン、ピンク・フロイドは未だ未だ気を吐き、レコードセールスもライブ動員も盛況でしたが(だから!イギリスのパンクバンドの標的にされ叩かれていた)、ロックシーンの人気者の世代交代は否めなかった時期だったと記憶しており、時代はキッス、クィーン、エアロスミス(あと、ベイシティローラーズをロックとするかは人それぞれなれど、もの凄い!人気だった)に流れつつあった、そんな時期のキッスの代表曲です。
KISS デトロイトロックシティ [キッス]
1977年、日本武道館、初来日ライブ。NHK「ヤング・ミュージック・ショウ」で観てたな、これ。
奇抜な衣装に(怪獣型ブーツはゴジラがモデル)、パイロテクニクス(火工術?)を使った大仕掛けな派手なステージの魁がこのキッスだったと記憶しておりますが、時代の節目、80年代のLAメタル、ジャパメタブームと、70年代前後のニューロックブームの、丁度真ん中にこのキッスやエアロスミス、クィーン等がいたのかな?と感じております。
メンバーのジーン・シモンズが、とあるサーカス団員から火吹きを教わり、ライヴパフォーマンスとして取り入れたようですが、火吹きを失敗し自らの髪を燃やしてしまったりとか、当初は色々、苦労があったようで、「売れる」最初に世の中に注目されるというのは、誠に!至難の技でございます。
1974年、アルバム「キッス・ファースト 地獄からの使者(Kiss)」でレコードデビュー。メンバーのメイク写真のジャケットは注目を受けますが、当初の人気は奮わなかったようで(勿論、日本でも全くデビュー当時は名前も聞く事もありませんでした)。初ツアーやTV出演ではジーンの火吹きの他、ピーター・クリスはザ・フーのごとくドラムセットを破壊、投げ落としたり、ポール・スタンレーは、同じくザ・フーやジミ・ヘンドリックス、ディープ・パープルのリッチーの影響でしょうか?ギターを地面に叩き付け破壊する強烈なパフォーマンスを披露したりしたそうですが、2作目のアルバム「地獄のさけび(Hotter Than Hell)」も、鳴かず飛ばず。
が、何故か?デトロイトで人気を得、それ以降のツアーを全てキャンセル、当地での単独コンサートを行うことを決定。そのデトロイトにおけるコンサートを収録したライヴアルバム「地獄の狂獣 キッス・ライヴ(Alive!)」が、何と!いきなり!全米チャート9位に入る大ヒットを記録。キッスは一躍人気バンドとなり、商魂逞しい(笑)日本のレコード会社も、それまでのオリジナルアルバムを一斉発売し、音楽雑誌「ミュージックライフ」の強烈なプッシュもあり(クィーンしかり)、アルバム「地獄の軍団(Destroyer)」、「地獄のロックファイアー(Rock and Roll Over)」も日本でも大人気になり、このNHKが放映した初来日公演(オープニング・アクトはデビュー間もないBOW WOW)になったわけでございます。
KISS - I Was Made for Lovin' You 【PV】 1979 [キッス]
70年代半ばから後半、某洋楽系音楽雑誌が、非常に日本的な「洋楽ロック御三家」的なのりで、キッス、クィーン、エアロスミスを盛んに宣伝していた(笑)その一角、キッスの、これは発売当時、物議をかもした楽曲でございます。
時は1979年、映画「サタディナイトフィーバー」以降、それまでは「非行少年少女」憩いの場だった(笑)、踊り場、ディスコが、空前の!ディスコブームにより、猫も杓子もに様変わり、とにかくディスコと名うてば何でも注目され儲かる金になる時代、「なんだよ。ハードロックのキッスも遂にディスコかよ」、これがリアルタイムのロックファンの醒めた空気。それほどソレ迄のキッスのハードロック(R&Rだけど)路線の支持者は、突然の16ビートに、おったまげたわけです。
同じ16ビート系でも、75年のエアロスミスの邦題「お説教」、『ウォーク・ディス・ウェイ (WALK THIS WAY)』の時は、あまりロックファンも一般的にも、未だ!「サタディナイトフィーバー」以降のディスコブームではなかった、それは未だ都市部の一部のアンダーグラウンドのソレでしたので何も言われなかったのに、キッスのこちらの曲を発表した79年は既にディスコブームでしたから大騒ぎという、この僅か数年の差。「ナイトフィーバー」以前と以降の空気、リアルタイムを知らない若い人にもよくわかると思います。
で、こちらラヴィングユーベイビー、ハードロックとファンキーミュージックのフュージョン(融合)に成功し、最初に大ヒットさせた楽曲だと思うと、ちょっと凄いと思いませんか?。今はどうってことのない当たり前な手法ですが、当時はハードロックとファンキーミュージックの間には、深くて暗い河がありましたから(特に日本は酷かった)。
この曲の大ヒットがあったから、この後、80年代になって同じくハードロックとファンキーミュージックのフュージョン(融合)に大成功した、マイケル・ジャクソンの「今夜はビートイット」があったのではないか?と、管理人は独断で思っております。
余談ですが、それでもまだ「不良が怖くて」ディスコに行きたいけど行けなかった、ディスコ&ディスコミュージック批判をしてた管理人の知人、もっと後になって、かなりの大人になってから、安心していける某有名「サラリーマンディスコ」ができてからは、狂ったように大人デビューで通ってました(爆)。奴のあのディスコ、ディスコミュージック批判は、何だったんでしょうか?(笑)。
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