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ドゥービー・ブラザーズ リッスン・トゥ・ザ・ミュージック The Doobie Brothers - Listen To The Music (1975) [HQ] [ドゥービーブラザース]





トム・ジョンストン(Vo&G)時代のファンには、これぞ!黄金のドゥービー・ブラザーズメンバー!と思える映像だと思われます。ジェフ(スカンク)バクスターが立ってギターを弾いてる映像は珍しい(笑)。

イーグルスと並び、70年代を代表するアメリカンバンドと呼ばれ易いドゥービー・ブラザーズですが、イーグルス同様、1970年代前半はそれほど日本では有名ではなく、こちら彼等の代表作1972年の「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」( Listen To The Music)も、1973年の「ロングトレイン・ランニン」も、リアルタイムから少し後の時代は、東京のビブロス等の踊り場で使われ、踊り場に出入りしてる「とっぽい」連中の間で人気になっていた程度で、少なくとも1970年前半、ドゥービー・ブラザーズが日本のヒットチャートをかけあがった、日本中で人気だったという事実は、実はありません。

1976年のドゥービー・ブラザーズ初来日公演、東京は日本武道館でしたが、この頃まで、ドゥービー・ブラザーズが日本のヒットチャートでシングルヒットが爆発していたという事実は、当サイト運営者は記憶もなければ、そういう記録を見た事もないわけですが、一言で言ってしまえば、「ロングトレイン・ランニン」の踊り場界隈での脅威のロングヒット!、、、。

タイプとしては、ヒットチャートを一度もかけあがった事がないわりにロングヒットになった、つのだ☆ひろ氏の「メリージェーン」、ジェームス・ブラウンの「セックスマシン」に近いような、ドゥービーズの曲は息の長いヒットの仕方をしており、これ「チャイナ・グローヴ」やこちら「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」( Listen To The Music)も同じで、口コミによる口コミで日本中に広まった楽曲、バンドで(勿論、初来日公演の時は随分とラジオで宣伝もしておりましたが)、初来日にして東京は日本武道館公演という人気グループになったと、当サイト運営者はリアルタイム、実感しておりました。

今のようにインターネットもありませんし、TVの歌番組に洋楽バンドが頻繁に出るわけでもありませんし、手に入るのは数冊の音楽雑誌の情報のみ!。後はラジオや純喫茶の有線放送から流れてくる曲を聴きながら、曲名やバンド名をあてて、友達同士で「オレの方が洋楽は沢山知ってる」合戦をやる(笑)、実際に現場、例えば踊り場やロック喫茶(昨今のロックバー)で知るぐらいしか、当時は洋楽情報なんてないですから、踊り場やロック喫茶の影響力というのは、実は大きかったんです。



あと、1976年はアメリカ建国200周年、雑誌「ポパイ」が登場し、LAブームを仕掛けましたので、丁度!イーグルスはこの後!「呪われた夜」に続いて「ホテル・カリフォルニア」が爆発的に売れ!
そのムーブメントの寵児に日本でなり、まあ、イーグルスと言えばドゥービー・ブラザーズ。ドゥービー・ブラザーズと言えばイーグルスみたいな風潮がなきにしもあらずで、ある種ドゥービー・ブラザーズを知ってるとカッコいいみたいな空気(日本ではヒットチャートをかけあがったわけでもないですから、誰もが知ってるバンドではなかったから)、まあ、サーファーだとカッコいいみたいな(笑)そんなような時代背景もあり、ドゥービー・ブラザーズの人気は更に!うなぎ上り。

で、少し遅れて1978年にアルバム「ミニット・バイ・ミット 」(Minute by Minute)の大ヒットと、シングルカットされた「ある愚か者の場合」( What a Fool Believes)がヒットし、ラジオでがんがん流れたので、一般的にもドゥービー・ブラザーズの名は不動のものになり、更に!踊り場からディスコブームに流れたこの時代でも、相変わらず! 「ロングトレイン・ランニン」は抜群の人気を誇っており(所謂サーファー系)、同時期、人気爆発してたアース・ウインド&ファイヤーやブラザーズ・ジョンソンと同じぐらい、ドゥービー・ブラザーズはディスコフリークにも人気バンドになっていたわけでありますが、その楽曲はロングトレイン〜の他、こちら「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」( Listen To The Music)等、実は1972年、73年の楽曲だったというわけであります。






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ある愚か者の場合 ドゥービーブラザーズ/Doobie Brothers - What a fool believes - 1979 [ドゥービーブラザース]





1975年、マイケル・マクドナルド加入以来3枚目、1978年末に発表され、日本でも1979年に大ヒットした「ミニット・バイ・ミニット」(Minute by Minute)からの、こちらも大ヒットしたシングル「ある愚か者の場合」(What a fool believes)。グラミー賞を受賞しております。

時代背景として既に1970年代半ばから後半、アメリカンチャートは空前のディスコブームに向かって一直線、ロックのヒット曲は非常に少なくなっており、日本でも70年代末に空前のディスコブームがやってきており、商業的に苦戦するロックバンドの中で、雑誌「ポパイ」発のLAブームの影響もあり、イーグルスと共に「ディスコのコ」たちにも人気を得ていたのが、こちらドゥービー・ブラザーズ。

まあ、ディスコで「ロングトレインランニン」が使われ続けていた効果もあると思いますし、マイケル・マクドナルド加入後、所謂AOR、まあ、R&B色強い楽曲作りも「ディスコのコ」にうけておりましたので、1971年結成のドゥービー・ブラザーズが日本で一番人気があったのは、この時期だと思われます。



しかしイーグルスがそうであったように、ドゥービー・ブラザーズも、こちらのアルバム制作時は、パトリック・シモンズ 、ジェフ・バクスター 、タイラン・ポーター 、マイケル・マクドナルド 、キース・ヌードセン 、ジョン・ハートマンと、幾度かの若干のメンバー交代があったにしろ、トム・ジョンストンがマイケル・マクドナルドに代わった程度の、それまでのファンにはお馴染みのドゥービー・ブラザーズメンバーだったのですが、アルバム、シングルの大成功後、ジェフ・バクスターとジョン・ハートマンが脱退。

後任のもう一人のギタリスト(Voも)にジョン・マクフィー 、もう一人のドラマーにチェット・マクラッケン。サックス(Key、Vo)にコーネリアス・バンプス を入れるも、今度はタイラン・ポーター が脱退。新ベーシストに名手!ウィリー・ウィークス、更に新メンバーにボビー・ラカインド(Per&Vo)を入れますが、ドゥービー・ブラザーズというより、セッションマンのグループのような違和感を以前からのファンは感じ、日本で人気絶頂期でしたが「トム・ジョンストン時代の方がドゥービーは良かった。トム・ジョンストン時代こそがドゥービー」という声も当時からあった中、なんと!そのトム・ジョンストンが、ドゥービー・ブラザーズのライブにゲストとして参加してるらしいという、以前からのファンには嬉しいニュース!、、、。

が、喜びもつかの間、キース・ヌードセンの脱退。唯一の!最初からのオリジナルメンバー、パット・シモンズが活動休止を提案。1982年、イーグルスもそうだったように、新旧のファンに支えれ人気絶頂の最中、ドゥービー・ブラザーズは解散(後に再結成、今に至る)。

ただ、イーグルスと違い、メンバー間の確執があったとは伝わっておらず、解散時も再結成後も、新旧メンバーの仲は良好だったようで、ドゥービー・ブラザーズはドゥービー・ブラザーズという音楽集団、共同体、「ドゥービー・ブラザーズファミリー」のようなグループだったと言えますね。




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ロングトレインランニン Long Train Running - The Doobie Brothers [ドゥービーブラザース]





日本では特に、70年代後半の世界的な空前のディスコブーム&LAブーム(雑誌ポパイの影響)&サーファーブームで、サーファーディスコなる店で使われまくった曲なので、あまりロックとか興味のない当時のディスコキッズ、ディスコクィーンでも、必ず!知ってる、とてもグルーヴィングでカッコイイ不朽の名曲ですが、発表はもっと以前、1973年のアルバム「キャプテン・アンド・ミー 」The Captain and Meからシングルカットされた曲で、発表リアルタイム実は!、日本の洋楽ヒットチャートのラジオ番組等で、がんがん使われた大ヒット曲という記憶が、管理人は全くないんですね。

わりと早くから「踊り場」ではDJが目をつけ(耳?)使っていたので、その世界では人気がありましたし、タワーオブパワーやグラハムセントラルステーションと同じ、ドゥービーブラザーズもワーナーだったので、なんと言っても情報も乏しい時代でしたから、蒼き管理人、サウンドだけ聴いて当時最新だった!黒人ニューファンクバンドだと、普通に思ってたほど、一般的には未だ当時のニューファンクがそうであったように、ドゥービーブラザーズというバンドそのものが、あまり日本では知られておらず(これは後のLAブームの頃の両巨頭、イーグルスもしかり)、ロングトレインランニンは、どーん!と爆発的に大ヒットした曲というより、「踊り場」発で深く静かに、印象的なギターカッティングやグルーヴィングなリズム等が話題になり、じわじわ口コミで浸透して人気になった曲だったと、少なくとも当時の東京の若者達の間ではそうだったと、管理人は記憶しております。



で、翌年、 1974年発表のアルバム「ドゥービー天国」What Were Once Vices Are Now Habitsからの「ブラック・ウォーター」、Black Waterが初の全米No.1を記録したせいか?、普通の洋楽好き、ロック好きの若者達にも一気に名が知れ渡り、75年の初来日時にはもう人気者になっておりましたが、この年から要のトム・ジョンストンはなんとライブを離脱(この映像のVo&Gの人です)。初来日公演に姿を表わさなかったんですね。

まあ、この後、70年代後半の空前のディスコブーム、雑誌「ポパイ」発のLAブームの最中、サーファーディスコでこの曲ががんがんに使われ大人気になってた頃は、既にトム・ジョンストンではなく、元スティーリー・ダンのマイケル・マクドナルドを中心に、サウンドも少し変わったバンドになっていたのは、ファンなら誰もが御承知の事と思いますが、リアル70年代のドゥービー・ブラザーズの日本での人気、足跡を、若い人が彼等のプロフィールに当てはめ想像するのはのは、あまり意味がないんですね(笑)。ちょっと違うんですよね、日本の場合。

で、こちらの映像&音源。再結成後同様、未だばりばりにトム・ジョンストンが活躍していた時代のソレで、間奏がレコーディング音源と違い、トム・ジョンストンのレスポールによるロックの王道!、非常にブルースロックっぽいフレーズ&サウンドのギターソロなのが、カッコイイですね。70年前後のニューロック華やかなりし頃の時代、60年代のR&Bから70年代初頭のニューファンク、ニューソウルの台頭の時代を、見事に象徴してる映像&音源だと思います。


バンドスコア ドゥービーブラザーズベスト (バンド・スコア)


バンドスコア ドゥービーブラザーズ ベスト (バンド・スコア)


The Very Best Of The Doobie Brothers

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マイケル・マクドナルドが中心になる前の、ドゥービー・ブラザーズの代表曲の1つ!チャイナグローヴ Doobie Brothers - China Grove 1973 [ドゥービーブラザース]



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後にヴァン・へイレンのサウンドをてげけたテッド・テンプルマンのプロデュースによって、70年代一世を風靡したドゥービーブラザース。1973年のアルバム『キャプテン・アンド・ミー(The Captain and Me)』からの、「ロング・トレイン・ランニング(Long Train Runnin')」同様ヒットした「チャイナ・グローブ(China Grove)」なんですが、まあ、日本では踊り場のDJ達(特に赤坂のビブロス)の手によって有名になったと、管理人は言いきってしまいたい程、所謂ヒットチャートでトップ独走という類いの曲ではなかったと記憶しております。

都市部のとっぽい若者達に圧倒的に支持され(聴いての通りノリがよいですから)、なんとなーく口コミで、有名になったバンドだったと管理人は記憶しております。

まあ、70年代後半、イーグルスと共に「ポパイ」創刊以降のLAブームの音楽担当(笑)、ウエストコーストサウンドという事で、人気者だったドゥービーなのですが、看板のトム・ジョンストンが75年のツアーから離脱、76年、初来日時は既にトム・ジョンストンはいなかったし、LAブーム、ウエストコーストサウンドともてはやされたこの時期には、既にバンドの形態は変わっていたので、このドゥービーに対する思い入れは、この頃のトム・ジョンストンのいない時代のマイケル・マクドナルド時代が大好きという層と、それ以前のトム・ジョンストン時代がやはり好きでは、その思い入れは違う、珍しいバンドでもあります。





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