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ディープ・パープル 嵐の女 Deep Purple Lady Double Dealer [ディープパープル レインボウ]



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再結成前の、実質リッチー・ブラックモア在籍時のラストアルバムになった、1974年発表の「嵐の使者」(Stormbringer)から、日本ではシングルカットされ、アルバム、シングル共に大ヒットした「紫の炎」(Burn)の興奮さめやらぬ時期だった事もあり、それなりに当時は売れた!「嵐の女」(Lady Double Dealer)。

当サイト運営者、個人的には所謂「第三期」と言われる、この時期の2枚のアルバム、「紫の炎」(Burn)「嵐の使者」(Stormbringer)は、良い曲が多いと感じるので好きであります。

「嵐の女」(Lady Double Dealer)は、正に!ディープ・パープルお得意の!疾走感溢れるハードロックナンバーであり、歌いやすい=覚えやすいテーマリフは勿論、歌メロのサビは「紫の炎」(Burn)のギターソロの後半部の影響か?と思わせ「にやっ」とさせてくれますし、その後のリッチー・ブラックモアの悪く言えば「手癖」、良く言えば「お得意」のフレーズもギターソロで随所に聴こえる、当時の日本でのそれなりのヒット状況を知る身、「パープル健在なり!」と思った者としては、メンバーの確執、結局リッチー・ブラックモア脱退を招いてしまった時期でもあるので、その後のアルバム、シングルの過小評価(ディープ・パープルのメンバーも)は、寂しいものを感じまする。

まあ、結局、このアルバム制作中に、その後のレインボウ路線、ハードロック、ヘビーメタル路線を突っ走りたかったリッチー・ブラックモアと、ソウル、ファンキーミュージックをバンドに持ち込みたがっていたと伝わる、デイヴィッド・カヴァデールとグレン・ヒューズとの間で、決定的な確執があったのでしょう。予定していたアメリカツアーは、アルバム発売後の大事な時期なのに!中止になり、リッチーは一人、他のバンドメンバー(エルフ)とセッション、レコーディングをはじめ、ディープ・パープルを脱退。そのメンバーとレインボウを結成するわけですね。









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ディープ・パープル ゲッティン・タイター Deep Purple-'Gettin' Tighter'-1975 [ディープパープル レインボウ]





メンバーチェンジによる不安を一掃した1974年の「紫の炎」( Burn )のシングル、アルバム両大ヒットと、それに続く同年発表の「嵐の使者」(Stormbringer)の好感触で、第三期ディープ・パープル盤石なりと思っていた当時のファンにとって、青天の霹靂だった!看板ギタリスト、リッチー・ブラックモアの脱退声明。

後任ギタリストにトミー・ボーリンが参加。1975年発表された、当時のディープ・パープルのラストアルバム「カム・テイスト・ザ・バンド」(Come Taste the Band)収録の、おそらくリッチー・ブラックモアが忌み嫌い、ボーカルのデヴィッド・カヴァデール、ボーカル&ベーシストのグレン・ヒューズが目指したかった、ファンクビートを取り入れたハードロックスタイルのソレだと思われる、「ゲッティン・タイター」(Gettin' Tighter)。

いきなりのファンキーなリズムギターは、当時のハードロックバンドとしては革新的な、ドゥービー・ブラザーズやファンク、クロスオーバーグループの常套手段のカッティングが心地良いわけですが、こういうサウンドをリッチーはやりたくなかったのでしょう。

1984年にレコードレビューした、ファンクとヒップホップを、パンク・ロックやハードロックなどと混ぜ合わせた、ミクスチャー・ロックと呼ばれるサウンドを提供したレッド・ホット・チリ・ペッパーズ以降のロックファンには、別段どうというサウンドではないように聴こえると思いますが、当時のハードロックファンには、ロックにとってブルースやR&Bは良いが、同じ黒人音楽でもソウルやファンクは「外様」のサウンドであり(このへんはリッチーと感覚は同じ)、又、ソウル、ファンク、クロスオーバーファン達は「あのハードロックのパープルが」何をやってんだ?みたいな冷淡な評価しか受けず、ツアーは日本含め各地で大盛況だったようですが評価はさんざんであり、脱退したリッチーのレインボウのようなサウンドをディープ・パープルに求めていたファン達は、アルバム「カム・テイスト・ザ・バンド」(Come Taste the Band)のサウンドを受け入れず、レコードセールスも低調。

ディープ・パープルは結局、解散してしまったわけであります(後に再結成しますが)。






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ブラック・ナイト(ディープ・パープル)Deep Purple Black Night [ディープパープル レインボウ]



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1994年に缶コーヒーのCMで使われていたので(ディープ・パープルヴァージョンではない)、若い人でも聴き覚えのある曲だと思われます。1970年「ディープ・パープル・イン・ロック」( Deep Purple in Rock ) のプロモーション用シングル盤として企画されたのが、こちら「ブラック・ナイト」(Black Night)。

ニューヨーク・シンフォニーの指揮者のジョセフ・イーガーとの競演を果たした、後にEL&Pを結成するナイスのキース・エマーソンにライバル意識を持っていたそうなジョン・ロードの強い要望で、ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラとの競演アルバムを発表後、同じイギリスのレッド・ツエッペリンのアメリカでの大成功に触発されたリッチー・ブラックモアの提言、「強力なリフとビートによるハードロック」路線に、ここからバンドの主導権をリッチーがとりだし、突っ走るようになった、まあ、「ブラック・ナイト」(Black Night)は記念すべき1曲と言えるわけであります。

まあ、有名な話しですが、新たなハードロック路線の「ディープ・パープル・イン・ロック」( Deep Purple in Rock ) を録音終了後、アルバムを売る為のプロモーション用にもう1曲とマネージャーに言われても、今まさに!アルバムを作り終え、ある種「出がらし」になってるディープ・パープルのメンバーに、そう簡単にそんなキャッチーな曲が作れるわけもなく、リッチー・ネルソンヴァージョンの「サマータイム」を参考にして作った(リフ?)と伝わっておりますが、メロディや歌い方などはブルース・マグースの「ウィ・エイント・ガット・ナッスィング・イェット(We Ain't Got Nothing Yet)」の方が、似ていると思いませんでしょうか?

Rick Nelson - Summertime


Blues Magoos - We Ain't Got Nothing Yet


イギリスでチャートの2位までのぼり、日本でも異例の!大ヒットシングルになった「ブラック・ナイト」(Black Night)により、70年代、おそらく日本で一番!人気のあった、商業的にも成功したであろうディープ・パープルの1970年代はスタートするわけで、GSブームが終焉した日本では、ザ・スパイダース、ザ・タイガース、ザ・テンプターズのメンバーからなる、人気者のジュリー、沢田研二氏とショーケン、萩原健一氏のツインボーカルの日本版「スーパーバンド」PYGのライブアルバムで、A面トップがこちら「ブラック・ナイト」(Black Night)のカヴァー。

また、70年代半ば頃迄、生バンドが入っていた踊り場(その後のディスコ)に出演していたバンドは、「ブラック・ナイト」(Black Night)は定番ナンバーであり、ディープ・パープルのレコードも踊り場で人気の高い曲でした(独特のステップがありました)。









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ビリー・コブハム トミー・ボーリン Billy Cobham, Tommy Bolin & Jan Hammer - Stratus - Spectrum.wmv [ディープパープル レインボウ]





何故?ディープ・パープルは看板ギタリスト!リッチー・ブラックモア脱退後、ディープ・パープルとは畑違いと思えるトミー・ボーリンをギタリストに迎えたのか?。

まあ、ハードロック!ディープ・パープル命ファン、リッチーフリークには評判の悪い、ディープ・パープルの1975年発表のラストアルバム(再結成前の)、「カム・テイスト・ザ・バンド」(Come Taste the Band)がわりと好きな方、評価してる方はトミー・ボーリンのそれ以前の活動をよく知ってると思います。

所謂、第三期ディープ・パープルから加入したデイヴィッド・カヴァデールとグレン・ヒューズが、ファンク、ソウル、クロスオーバー好きで、そのへんをリッチー・ブラックモアは受け入れられずに脱退したのは有名ですが、以前からのメンバー、イアン・ペイスとジョン・ロードがビリー・コブハムの、こちら「Stratus」収録のアルバム、1973年発表の「スペクトラム」(Spectrum)を聴き、トミー・ボーリンに打診したという説、デイヴィッド・カヴァデール発案説がありますが、ジョン・マクラフリンのマハヴィシュヌ・オーケストラのメンバーとして活動していたビリー・コブハムの、もろ!クロスオーバーアルバムのこちら「スペクトラム」(Spectrum)を聴いて、畑違いのトミー・ボーリンを何故?リッチーの後釜に起用しようとしたのか?、、、。

1975年という時代背景と、当事の時代の空気を考えないとわからないでしょうね。

「スペクトラム」(Spectrum)にも参加してるヤン・ハマーも参加していた、ジェフ・ベックのインストアルバムがインストアルバムにしては異例の!商業的成功を得、高く評価され、マイルス・デイビスとその一派の活動で、ジャズシーンでも注目されていたクロスオーバーというジャンルの音楽が、世の中で脚光を浴びていた。この数年後、空前のディスコブームに世界は突入する、その前兆であったR&B、ニューソウル、ニューファンクからの流れで、その手の音楽がじわじわ大衆に浸透してきた。

ディープ・パープルのメンバーやジェフ・ベック同様、同じイギリス人の元クリームのあの!カリスマギタリストだったエリック・クラプトンまで、何やらジャマイカのレゲエなんぞやりだして、しかもバカ売れした。70年前後のニューロックファンに好まれていた、ハードロック、ブルースロックが、そろそろ飽きられてきていた。

1975年というのは、こんな時代背景だったので、ファンク、ソウル好きだったデイヴィッド・カヴァデールとグレン・ヒューズに限らず、リッチーを抜かした全メンバーが、第二期、第三期ディープ・パープルのハードロック路線とは、決別しようと思っていたのではないか?と想像できます。

一説ではジェフ・ベックもリッチーの後釜として、候補に名前があがっていたそうですから、「スペクトラム」(Spectrum)のトミー・ボーリンとジェフ・ベックなら、なんとなく共通点も見いだせますし。



まあ、それでもディープ・パープルはディープ・パープルですから、トミー・ボーリンを迎えた唯一のアルバム「カム・テイスト・ザ・バンド」(Come Taste the Band)も、サウンドの変革は誰もが感じますが、基本はハードロックであり、トミー・ボーリンもリッチーの物まねではない存在感を示してると思いますが、ディープ・パープルファンは=リッチー信者が圧倒的に多かったので、新生ディープ・パープルの挑戦は評価はぼろぼろ、商業的にも失敗に終わり、トミー・ボーリンのヘロイン中毒もあり、結局、ディープ・パープルは解散(再結成しますが)。

トミー・ボーリンも死亡してしまい、ファンはリッチーの新バンド、レインボウに流れ、又、次世代の若者達もリッチーのレインボウ、キッス、クィーン、エアロスミス、そしてヴァン・ヘイレンやマイケル・シェンカー等の新しいロックの趨勢に感化。来るべき80年代のヘビメタムーブメントの「需要」を担うようになったと。ハードロックは終っていなかった。世代交代しただけだったと(リッチー以外)。

まあ、そんな時代背景だったと、当サイト運営者、記憶しております。




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レインボウ スターゲイザー Rainbow - Stargazer (long studio version) [ディープパープル レインボウ]





ディープ・パープル脱退後、リッチー・ブラックモアズ・レインボウ名義で発表されたファーストアルバム、「銀嶺の覇者」は、リッチー・ブラックモアが未だディープ・パープル在籍中の1975年に、アメリカの当時、無名のハードロックバンド「エルフ」というバンドと意気投合、ディープ・パープル在籍中に彼等とレコーディングしたアルバムで、リッチーのディープ・パープル脱退声明後、わりと早い段階で発売されたので、リッチーのディープ・パープル脱退&新バンド結成というのは当時のロックキッズ、ギターキッズには大事件!でしたから、それが宣伝効果にもなり、とても!注目度の高いアルバムでした。

が、ハードロック(ニューロック)の終焉を感じていた時代の空気もあり、ジェフ・ベックの動向などからクロスオーバー的なアプローチをする事こそ!ギタリストの新しいチャレンジであり、「今更古びたハードロック?」と批評家、世間の評価は実はリアルタイムは冷淡であり、さりとて!リッチー脱退後のディープ・パープルの当時はラストアルバムになった(再結成前ゆえ)、ファンキー路線、ある種ハードロックとファンク、ソウルのクロスオーバー的な実験を図ったアルバム「カム・テイスト・ザ・バンド(Come Taste The Band) が評価されたか?と言えば、こちらも酷評。

「どっちなんだ?」「何をやれば満足なんだ?」と、当サイト運営者がリッチーやパープルだったら言いたくなるような(笑)、かなり何をやっても「ディープ・パープルなんて」という悪意ありきの批評家、マスメディアの意図が露骨で、又、音楽に限らないですがそういうメディアの洗脳、煽動に日本人は弱い民族ですので、それの「九官鳥のオウム返し」、それの「同調圧力」が更に!酷評を倍増する。



解散したディープ・パープルは勿論なれど、新しい船出になったレインボウのリッチー・ブラックモアも、当時はさんざんだったわけで、こいら「スターゲイザー」(Stargazer)収録のセカンドアルバム「虹を翔る覇者」(Rising) では早くも!ドラム、ベース、キーボードを総とっかえ。ボーカルのロニー・ジェイムス・ディオ以外全員解雇。

全くエルフはいったい何だったんだ?とエルフに同情したくなるようなメンバー交代を行ったたわけですが、結果的にはドラムに第二期ジェフ・ベックグループに居たコージー・パウエルを入れた事で、楽器の出来ない批評家は自らのコンプレックスからか?、ネームバリュー&権威象徴に弱いので(笑)レインボウ批判を弱める事に成功。こちら「虹を翔る覇者」(Rising) は、まずまずの好評価を受け、この後のライブアルバム「レインボウ・オン・ステージ」、かの!日本でも人気の高い「キル・ザ・キング」(Kill the King)収録のアルバム「バビロンの城門 」が、イギリスと日本ではかなり商業的にも成功する、そして来るべき80年代のヘビーメタル、LAメタル、ジャパメタブームの、リッチー・ブラックモア、レインボウは中心的位置に居る事になる、そのとっかかりになったアルバムと言えなくもないわけであります。







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スピードキング Speed King - Deep Purple [ディープパープル レインボウ]





PYG時代のジュリー、沢田研二さんもレパートリーにしてたディープ・パープルの「スピードキング」(Speed King)。

わりと当時のギターキッズはみんな!必ず!「スモークオンザウォーター」のリフをやったと伝説になっておりますが、それもそうなのですが、まーず!だいたい、こちらの「スピードキング」(Speed King)のイントロ、必ず!誰もがやってると思います♩ 

ソロなんて全然弾けなくても、コード(和音)なんてよくわからなくても、ディストーションきかせ ♩じゃっじゃ! と弾くと「スピードキング」(Speed King)のイントロは、それだけで決まる!カッコいい!サマになる!気持ち良い!、、、。

なかなかそういう曲、リフは世の中にございませぬ♩、、、

60年代後半には既に「ハッシュ」の全米ヒット曲にあったディープ・パープルでしたが、その後、ハードロックに行くかキーボードのジョン・ロード主導でプログレ、クラシカル路線で行くか紆余曲折。

結成間もない同じくイギリスのレッド・ツエッペリンの、アメリカでの驚異的なレコード売り上げ、ライブでの盛況の影響で、リッチー・ブラックモアはハードロック路線でバンドの主導権をとり発表された、1970年のハードロックの古典!「ディープ・パープル・イン・ロック( Deep Purple in Rock ) のA面1曲目を飾った、正に!アルバムの印象を決定ずけるインパクトある曲でありました。




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スモークオンザウォーター/Deep Purple - Smoke On The Water HD 1973 (Live in USA) [ディープパープル レインボウ]



おそらく日本で一番!有名な!ハードロックナンバーだと思われる古典。ハードロック、古のロックに興味のない嫌いな人でも、聴いた事がないという人はまず!いないであろう、ディープ・パープルの「スモークオンザウォーター」Smoke On The Water 。更に今の中高年ギター弾きで、有名無名問わず、この曲を若い頃、一度も!練習した事がない、弾いた事がない、聴いた事がないという人は、今やジャズ、ブルース、ラテン、R&B、ソウル、ファンク、R&R、パンク、フュージョン、フォーク等々、やられてる事は人それぞれ違うと思いますが居ないと思う、ギター弾きの必修課目でもある(笑)、「スモークオンザウォーター」Smoke On The Water。

1972年に発表されたアルバム、欧州各国で1位を獲得、全米でも最高7位まで上昇。全米Top200位以内に118週もランクインされるロングヒットとなった「マシン・ヘッド 」Machine Head、B面1曲目でしたが(A面1曲目はハイウェイ・スター - Highway Star)。

同年8月の初来日公演で録音された、当初ディープ・パープルメンバーが日本の録音機材を過小評価し、ライブ録音に難色を示し、日本国内だけの発売契約だった、かの!古のロックキッズお馴染みの!「ライヴ・イン・ジャパン 」Live in Japanの音源の出来の良さ音の良さに驚嘆したメンバー、スタッフは、すぐさまアルバム「Made In Japan」として発表!自ら契約を破棄したわけで(笑)、このアルバムからのシングルカットされた「スモークオンザウォーター」Smoke On The Waterが、アメリカのラジオのディスクジョッキーが気にいったせいなのか?、1968年の「ハッシュ」以来の全米シングルチャート、久々の!トップ10入りの大ヒットになり、それまで70年代初頭、全米を圧倒的なパワーとステージングで席巻、商業的にも大人気、大成功を収めていたレッド・ツエッぺリンと並び称されるようになる!商業的大成功を手に、ここでディープ・パープルはするわけであります。




リフの難易度のうんうんの野暮なテクニック論は別にして、これほど!何時何処で聴いても!有名無名問わず幾多のバンドが演奏してるその場に接し、イントロだけで幾つになっても興奮し血が騒ぐハードロックナンバーは、管理人はそうそうございません(笑)。名曲です。これからロックをやりたいと思ってる若者、かつては「ならしてた」またエレキが弾きたいなと思ってる親爺さんも、是非!「スモークオンザウォーター」 Smoke On The Waterを奏でませう。

・wikipedia引用流用
「初心者向き・素人向き」の曲というイメージがあるが、その難易度はハイウェイスターよりも高いとも言われている。また、ギターソロには速弾きも含まれている。同曲のギターソロを原曲どおり正確に弾ける人は意外に少ない(特にCmの箇所の16分音符)。そのあたりはプロのギタリストも認めており、クレイジーケンバンドのギタリストである小野瀬雅生もギターマガジン誌で「スモーク・オン・ザ・ウォーターを笑うものはスモーク・オン・ザ・ウォーターに泣く」という言葉を残している。


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70年代ロックキッズ、ギター小僧にとても好まれたハイウェイスター Deep Purple - Highway Star [ディープパープル レインボウ]








うーん、何時聴いても幾つになっても、無茶苦茶カッコいい曲だな〜!(笑)。

1972年発表、リッチー・ブラックモア主導のハードロック路線、第三弾、アルバム「マシン・ヘッド」 - Machine Head - A面1曲目の不朽の名曲。「ハイウェイスター」Highway Star。日本中の当時のギターキッズが、今も上手い人、挫折した人関係なく、必死に!コピーしようとしたリッチー・ブラックモアの、1人多重録音のギターツインハモのギターソロ、ギターを弾かないロックファンでも、普通に口ずさめ歌える!フレーズ(これは凄い事だと思います)、歴史に残るギター名演!ギター名フレーズでございます。

同年8月の初来日の演奏音源、「ライブインジャパン」- Made in Japan - の冒頭1曲目の、印象的な!ジョン・ロードのキーボードから入る、何時聴いても!鳥肌(管理人は)のアレ、何度!聴いたかわからないロック親爺は日本中にいる事でしょう(笑)。

しかし、第二期ディープ・パープルはこの初来日音源の、僅か10ヶ月後、76年6月には崩壊。ボーカルのイアン・ギランと、ベースのロジャー・グローヴァーが抜けてしまい、まあ、結局その後任で加入したグレン・ヒューズ(Vo&B)、デイヴィッド・カヴァデール(Vo)がいたから、あの!ハードロック史上、最高と言っても過言ではないでしょう。不朽の名曲!「紫の炎」 - Burn -74年2月に生まれたわけで、さりとてこの二人との確執が、翌75年には看板ギタリストのリッチー・ブラックモア脱退を生んだわけで、リッチーが脱退しレインボウを結成しなかったら、又、ハードロック、ヘビーメタルの歴史も変わってたでしょうから、バンドというものは、人間関係というものは、誠に難しいものでございます。

76年にディープ・パープルは解散。世界的なハードロック、ヘビーメタルブームの中、この「ハイウェイスター」のメンバー、所謂「第二期」メンバーで再結成される84年まで、随分、時間が経過してたと、こちらも若かったせいか感じておりましたが、僅か8年で再結成してるんですね(笑)。ホワイトスネイクのリーダーで、ディープ・パープル第3期のボーカルでもあるデイヴィッド・カヴァデールは、この再結成をかなり辛辣に批判してましたが、ホワイト・スネイクでも一緒だったジョン・ロードが抜かれましたからね(汗)。リッチーのレインボウも結局、解散しちゃったし。

で、そのわりには、また!リッチーとイアン・ギランの確執でイアン・ギランが抜けたり、リッチーが抜けギランが戻ったりの、どたばた劇を繰り広げ、ジョン・ロードもいなくなっても今も(2011年)ディープ・パープル活動しておりますが、再結成に一度も加わってない、自身のバンド、ホワイトスネイクとピンで活動し続けるデイヴィッド・カヴァデールに、管理人は「美学」と「男気」と「意地」を感じます。





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日本で人気抜群のギタリスト!リッチー・ブラックモア率いたレインボウ キルザキング RAINBOW LIVE IN MUNICH 1977 - Kill The King [ディープパープル レインボウ]








1975年6月に、ハードロックとソウル、ファンクの融合を目指していた新加入メンバー、グレン・ヒューズ、デイヴィッド・カヴァデールと意見が対立し、ディープパープルを脱退した看板ギタリストのリッチー・ブラックモアが立ち上げた、レインボウ。

実はリアルタイムは、クロスオーバー、フュージョン、AOR、ディスコに向ってまっしぐらの時代でしたので、ハードロック、ヘビーメタルをやると結成されたレインボウ、リッチー共にマスメディアは冷ややかで、いや、「今更ハードロック?。終わったよハードロックブームは。リッチー何をトチ狂ったのか?」的な批判的なソレが多かったのですが、、、

そんな孤立無援のリッチーのレインボウ結成がなかったら、80年代のヘビメタ、LAメタル、ジャパメタブームはなかったんじゃないか?なんて、真剣に思うほど、リッチーのこの「時代に逆行した」決断を、管理人は高く評価しております。

が、しかしリッチー・ブラックモアも、ディープ・パープルと対立し自分のお気に入りの「エルフ」を吸収して「レインボウ」をたちあげ1975年「銀嶺の覇者」(Ritchie Blackmore's Rainbow)を発表するも、リアルタイム、商業的にはやはりイマイチで、メディアや世間の評価は上記したように酷評に近く、リッチーはボーカリストのロニー・ジェイムス・ディオ以外の「エルフ」のメンバーを、全員解雇してしまうんですね〜。

いやはや豪腕(汗)。

そしてジェフ・ベック・グループにいたドラマーのコージー・パウエルはじめ、レインボウはメンバーを一新。その後も、ディープ・パープル同様、レインボウも「リッチー次第」のメンバーの出入りの激しいバンドで、リッチーの音楽ではなくこういう独善的で「孤高」と言われる性格(あちらは仕事でやってるのだから、いたしかたない)をコピーしたギターキッズがバンマスのバンドは当時、よ〜く揉め事を起こしてたわけです(笑)。

こちら「キルザキング」(Kill The King)は、そんなレインボウ3枚目のアルバム、「バビロンの城門」( LONG LIVE ROCK'N'ROLL)の中の、当時も今もとても人気の高い曲でございます。


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ハードロック史上!今も燦然と輝く金字塔! 1974年の「紫の炎」 Deep Purple - Burn [ディープパープル レインボウ]









ロックファンには超有名な!カリフォルニアジャム出演時のディープパープルの映像ですが、新生パープル第一弾!、1974年、邦題「紫の炎」がリアルライム、ラジオから流れてきた時(うっひゃー!なんてカッコいい曲だ!)とシビれて、すぐ近所の町内のレコード屋(以前は各町にあったよね?)にシングルレコードを買いに行ったの、今でも覚えてます(アルバムと違い、ジョンロードのキーボードソロで何と!フェイドアウト。汗)。

正に!ハードロック史上!今も燦然と輝く!金字塔!Burn。

新生パープル凄いぞ!と思ってたら、すぐ得意の内輪もめで、看板ギタリストのリッチー・ブラックモアはこの翌年に脱退、76年には解散しちゃった(汗)。



私的にはリッチーと揉めた(汗)、グレン・ヒューズ、デイヴィッド・カヴァデールのツインボーカル時代の所謂「第三期」、アルバム「紫の炎」、リッチーは嫌いらしい「嵐の使者」、リッチー脱退後の「カム・テイスト・ザ・バンド」って、グレン・ヒューズとデイヴィッド・カヴァデールのソウル、ファンク趣味がハードロックバンドの中で出てるのが、時代を考えると面白くて(それがリッチーは嫌だったそうですが)好きで、今でもよく楽しく聴いてます。

で、このカリフォルニアジャムには、黒人コミュニティに人気の高かったウォー、白人に人気の高かったサンタナの前座をつとめ、昇り調子、人気沸騰寸前のアースウインド&ファイヤーも出てたそうで、この後、大ブレイクするアースと、解散してしまうパープルの対比は、正に!70年代の日本の洋楽シーンの象徴だったのではないか?、なんて事を考える今日この頃でございます。





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