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グランドファンク ギミーシェルター Grand Funk Railroad - Gimme Shelter [グランドファンクレイルロード]



70年前後の日本でも、本国アメリカ同様、爆発的!カリスマ的!人気を誇っていたグランド・ファンク・レイルロードの1971年4月にリリースされた4th アルバム「サバイバル」 (Survival)のB面ラストに収められていた、ストーンズファンにはお馴染みの!ザ・ローリング・ストーンズの「 ギミー・シェルター」(Gimme Shelter)のカバー。

なんとも「威勢がいい」カヴァーヴァージョンであり、グランド・ファンク・レイルロードの真骨頂というかなんと言うか、ストーンズヴァージョンと聴き比べてみると面白いと思います。

本アルバムの1枚前のライブアルバムが初期のグランド・ファンク・レイルロードの人気のピークだったとも言えなくもないので、その残り香が残っていた初期のファンには人気の高い曲ですね。本アルバムの2年後、1973年にアルバム、シングル(全米1位)共に爆発的に売れた!「アメリカン・バンド」 (We're an American Band)から次世代のグランド・ファンク・レイルロードファンが増え、人気は再び日本でもアメリカでも大ブレイクしましたが、こちらもライブアルバムの75年を最後に、グランド・ファンク・レイルロードの人気は、まるでそれ以前の日本のグループサウンズ(GS)ブームのごとく!急激に!下降。1976年には解散(再結成しますが)。

思えば70年代ロックというのは、その成功から衰退まで、非常に!短い期間の「物語」だったと、老いてしみじみ思いまする。







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グランド・ファンク・レイルロード パラノイド(Paranoid) [グランドファンクレイルロード]





1969年12月に発表された、1970年、日本でも大ヒットした!グランド・ファンク・レイルロードのセカンドアルバム「 グランド・ファンク 」(Grand Funk)のB面ラスト、当事のギターキッズの必修科目でもあった(笑)アニマルズのカヴァーなれど、アレンジの強力な「孤独の叫び」(Inside Looking Out )に流れる前の!こちらも名曲「パラノイド」(Paranoid)。

グランドファンクというと、全米チャートをかけあがった「アメリカン・バンド」「ロコモーション」の大ヒットのせいでしょうか?ノー天気で楽しくマッチョなアメリカンバンドイメージが強いですが、それ以前、特にこちらのアルバム、けっこう重々しくて、B面の「パラノイド」(Paranoid)は冒頭の効果音とラストの赤ん坊の鳴き声の効果音は、けっこう不気味で、そして次のドラムから厳かにはじまる「孤独の叫び」(Inside Looking Out )の流れは、続けて聴いてると妙〜に!おもーい気分になったものでした(2曲とも長いですし)。

初期の日本でのグランドファンクの代名詞、「ハートブレイカー」(Heartbreaker)もマイナーキーで、けっこう重々しい曲だったので、「アメリカンバンド」以前のグランド・ファンク・レイルロードに、あまりノー天気で楽しいアメリカンバンドって印象は、当サイト運営者は持っていなかったですね。

キーボードが加入する以前の、この当事のグランドファンクは、バンド編成が同じドラム、ベース、ギターのスリーピースだった、それ以前のクリームやジミ・ヘンドリックス&エクスペリアンスと比較される所がありましたので、当事カリスマギタリストであったクリームのエリック・クラプトンや、天才ジミ・ヘンドリックスとマーク・ファーナーは比較されるのは、ちと可哀想だったなという感じでしょうか。

マーク・ファーナーはマーク・ファーナーで、非常にシンプルでワイルドな、リズムギターやリードギターを得意としていた、ロックスピリッツ論で言えば!とても良いギタリストだと思いますし、当事フリーのポール・ロジャース、フェイセズのロッド・スチュワート、レッド・ツエッペリンのロバート・プラントが圧倒的に!ロックファンにシンガーとして支持されており、また、それを好きだ1番だと言わないと、「イモ」「わかってない奴」とレッテルを貼られる危険のある同調圧力も蔓延しており(笑)、マーク・ファーナーのボーカルは過小評価されておりました、いや!評価の土俵にのる事も殆どありませんでしたが、マーク・ファーナーは相当!歌がお上手。

まあ、昨今の若い音楽ファン事情は当サイト運営者はわかりませんが、70年代当事は「誰々より誰々の方が上。凄い」、イコール(だからそんなの好きな、おまえよりオレの方が上、凄いんだぞ〜)に会話の落とし所を必ず!もってきたがる、卑屈で傲慢な『嫌〜な奴』のロックファンは吹きだまりでしたので(爆)、グランドファンクは日本でも抜群の人気者ゆえ、『嫌〜な奴』の悪趣味のその比較対称、優劣の劣側に利用され易いバンド、シンガー、ミュージッシャンだったわけであります。






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ハートブレイカー Grand Funk Railroad -- Heartbreaker -- 1974 [グランドファンクレイルロード]





1970年代初頭のニューロックの時代、日本で最も!人気のあったハードロックバンドと言っても過言ではないと思います、グランドファンクレイルロードの最期の輝き時代と言える1974~75年の、ファンにはお馴染みのライブ映像&音源。

1972年、キーボードにクレイグ・フロストを入れ、それまでの3人バンドに終止符をうち、1973年、トッド・ラングレンをプロデュースに迎え、「アメリカン・バンド 」(We're an American Band) 、「ロコモーション (The Loco-Motion)が連続全米1位を記録。人気はピークに達するも、3人バンド時代を懐かしむそれ以前のファンには、わりと否定的な評価を受けたグランドファンクでしたが、結局この時期の彼等のポップなハードロックサウンドの方法論は、80年代以降のアメリカンハードロック(例えばボンジョヴィ)のルーツになっているので、侮ってはいけない、ロック史においても重要な時期になってるわけであります。

が、やはり現在(2013年)還暦前後の古のファンの方々は、グランドファンクレイルロードは1971年の「嵐の後楽園」に代表される3人バンド、こちら「ハートブレイカー」( Heartbreaker)の方が懐かしいし絶対!推したい所と思われます。



1969年、ヤードバーズのジミー・ペイジのニューバンド、デビュー間もないイギリスのレッド・ツエッペリンの圧倒的な重厚なサウンドとステージパフォーマンスで、アメリカンバンドをなぎ倒し続けるアメリカツアー中、唯一!そのレッド・ツエッペリンに一矢報いた、こちらも新人の前座起用だったグランドファンクレイルロードのワイルドな演奏、ステージパフォーマンスに熱狂する観客をみた、レッド・ツエッペリンのマネージャーが、途中で彼等の演奏をストップさせたという逸話を持つグランドファンクレードの、こちら「ハートブレイカー」( Heartbreaker)は1969年のデビューアルバム「グランド・ファンク・レイルロード登場 」(On Time) の中の1曲。

日本のグループサウンズのザ・タイガースもレパートリーにしてた、井上陽水氏の「傘がない」のパクリ疑惑も有名な「ハートブレイカー」( Heartbreaker)収録のファーストアルバムから、グランドファンクレイルロードは、トッド・ラングレンを招いた「アメリカンバンド」(We're an American Band)でサウンドが変貌する以前、1969年から1972年迄の僅か3年で、オリジナルアルバムも6枚だしてるわけで、ライブアルバム入れると7枚、、、。

殆ど日本の当時のアイドル歌手ばりの発表スピードであり、契約もあっての事でしょうが、彼等の創作意欲の高さを痛感させられるアルバム数で、特に初期の2枚のアルバムは当サイト運営者は今もよく楽しんで聴いておりますが、3ピース、ドラム、ベース、ギターのロックバンドとしては最小コンポですので、どの楽器も非常によく聴こえますし、レッド・ツエッペリンのジミー・ペイジ下手論同様、グランドファンク下手説が当時は強くありましたが、ドン・ブリュワーのドラミング、メル・サッチャーのベース、そしてマーク・ファーナーのギターを聴いて、下手だと感じる事は当サイト運営者、全くありません(勿論、ジミー・ペイジにも)。

3ピースでこれだけヘビーにR&R、R&Bグルーヴを感じさせるハードロックバンド、そうはないと感じておりますし、とにかく!マーク・ファーナーの歌の上手さ!、当時はレッド・ツエッペリンのロバート・プラント、ロッド・スチュワート、ポール・ロジャースが圧倒的に人気があり、あまりマーク・ファーナーの歌唱は評価されていた記憶がありませんが、世の中に70sバンドのコピバン多しといえど、なかなかグランドファンクレイルロードを上手く聴かせるバンド、出会わないのではないでしょうか?。

下手だと言われていたので、楽勝に出来ると思ってやってみると、案外、ドン・ブリュワーのドラムが叩けなかったり、メル・サッチャー同様、演奏は出来ても、あの雰囲気がなんとなく出せない。ギターは弾けてもマーク・ファーナーを歌えない。素敵なドン・ブリュワーのだみ声、美声のマーク・ファーナーと声が重なった時の魔法、心地良いがどうも出せない。グランドファンクレイルロードをやってみたら、こう感じた事ある人、多いのではないでしょうか?、、、。

ロックバンドは各々、不思議なマジックがある。渋谷陽一氏が主張してらっしゃる、その時、そのメンバーでなければ成し得なかった化学反応の魔法が、どのバンドもあると、当サイト運営者は思っている次第。




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グランドファンク/Grand Funk Railroad - Bad Time [グランドファンクレイルロード]





1973年、全米1位を獲得した「アメリカンバンド」We're an American Band、1962年に全米1位を獲得したジェリー・ゴーフィン & キャロル・キング作によるリトル・エヴァ の大ヒット曲「ロコモーション」The Loco-Motionをハードロック風にアレンジ、1974年、再びこちらも全米1位を獲得と、空前の大ヒットを連発したグランドファク最後のビッグヒットになったのが、1975年、全米4位のこちあ「バッドタイム」Bad Timeでした。

Tレックスやスージー・クアトロもそうでしたが、日本でもあれだけ!人気のあったグランドファンクもまた、このヒットを最後に急激に人気は急下降し、それはまるでその数年前のグループサウンズ、GSブームの盛況と衰退をみるがごとくの凄まじさで、本国アメリカもしかりで全くヒット曲がでなくなり、「バッドタイム」Bad Timeのヒットの翌1976年に解散(再結成してます)。


Caught in the Act

思うに1975年に発表され、日本でもかなり売れた二枚組ライブアルバム「グランド・ファンク・ツアー ’75」Caught in the Actは全米アルバムチャート24位と、まずまずの商業的成功を収めていたのに、76年に入ってアルバムもシングルも売れなくなった途端、「もはやこれまで!」と何故?解散してしまったんでしょう?。当時、ザ・ローリングス・ストーンズとてちょっと商業的には不調だったんですから、少し休養し、そして再始動すれば良かったのにね。まあ、「そういう時代」だったって事なのでしょうかしら。

で、80年代以降のアメリカンハードの見本、手本になったのはこの当時のグランドファンクサウンドでしょう。マークファーナーのハイトーンの素晴らしいボーカル。そしてジャンル問わずのアメリカンバンド、グループお得意、伝統のコーラス。ハードなサウンドながらポップで流麗な楽曲。しかも!商業的にも大成功したのですから、これをお手本にしないで何をするのか?って感じでございます。


Shinin on


アメリカン・バンド


グレイテスト・ヒッツ

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孤独の叫び/Grand Funk Railroad - Inside Looking Out 1969 [グランドファンクレイルロード]





今や70年代ハードロックと言えばレッド・ツエッペリン、ディープ・パープルが定説でありますが、当時ツエッペリン、パープルが日本武道館公演だった事を思うと、1971年の初来日、後楽園球場で行なわれた、所謂「嵐の後楽園」、グランドファンクの当時の日本での人気の凄まじさというのは、なかったわけでございます。

当時アメリカンバンドをなぎ倒しアメリカで快進撃を続けていた、英国のレッド・ツェッペリンのアメリカ公演の前座をやった際、そのグランドファンクの凄まじい歌と演奏力で聴衆を熱狂させるソレに焦ったツエッペリンのマネージャーが、グランドファンクの演奏をやめさせたという伝説のある、唯一!当時のツエッペリンのアメリカ快進撃に一矢報いたアメリカンバンドとして、コアな古のロックファンには有名なグランドファンク。


グランド・ファンク
日本では当時、「ハートブレイカー」Heartbreakerが圧倒的に人気を誇っておりましたが、ギターキッズ達は多分、ハートブレイカーは元より、こちらアニマルズのカヴァー「孤独の叫び」Inside Looking Out のマーク・ファーナーのギターソロのコピーしていたのではないでしょうか?。ギターソロが長い、そしてカッコイイというのは、当時のギターキッズ、ロックキッズ達には、かなりそのバンド、楽曲の「評価の対象」でしたから。マーク・ファーナーは当時ギタリストとして、必ずしも圧倒的な!抜群のテクニシャンとしての評価を得ていたわけではありませんが、ギターを弾き歌い(歌がとても上手い)、そして長いギターソロもとり、ブルースハープまでも奏でるマーク・ファーナーのパフォーマンスは、斬新であったのであります。

共に日本人好み、日本人の琴線に触れるマイナーキー(短調)の曲というのも、おそらく当時のグランドファンクの日本での圧倒的!人気と、深く関係があったと思っております。


バンド・スコア ミュージック・ライフ世代の洋楽ヒッツ!!


ベスト・オブ・グランド・ファンク・レイルロード


ライヴ・アルバム

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スマップのCMで近年蘇ったグランドファンクヴァージョンのロコモーション Grand Funk Railroad - The Locomotion [グランドファンクレイルロード]








近年、日本のCMでも人気のスマップを使って使用されてるので、リアルタイムを知らない若い人でも、聴き覚えのある曲だと思われます。グランドファンクの「ロコモーション」The Locomotion。

1973年、トッド・ラングレンにプロデュースを委ねたアルバム『 アメリカン・バンド (We're an American Band) 』からの同名シングル曲が全米1位を獲得する大ヒットを記録、続くアルバム『輝くグランド・ファンク (Shinin' On) 』(3D、眼鏡つきジャケット)で、1962年に全米1位を獲得したジェリー・ゴーフィン & キャロル・キング作によるリトル・エヴァの大ヒット曲、この「ロコモーション (The Loco-Motion)」をハードロック風にアレンジしたグランドファンク、こちらも見事に!全米1位を獲得。

グランドファンクはデビュー当時から、アメリカと日本で抜群の人気を誇っておりましたが、商業的にグランドファンクがピークだったのは、この時期で、この時期をピークに人気は急降下、人気絶頂期から僅か3年後の76年には解散してしまったわけで(再結成して今も活動中ですが)、アメリカ建国200周年の1976年、雑誌ポパイ創刊、この後、イーグルスの「ホテルカリフォルニア」の大ヒットの影響もあってか?LAブームで、日本中がこの先の、後にバブルと言われる時代にまっしぐらのノーテンパーの時代だったので(笑。だから実際には日本では、未曾有の大不況の英国と違い、パンクなど当時、流行っていなかった)他国アメリカの建国200周年に湧きに湧いてた時、「アメリカンバンド」のグランドファンクが解散してるというのは、皮肉と言えば皮肉。





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1973年、全米ビルボードチャート1位、アメリカンハードロックバンドの雄!グランドファンクの We're An American Band [グランドファンクレイルロード]



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今も70年代ハードロックと言えば,レッドツエッペリン、ディープパープルとすぐ名前が誰でもでますが、その両バンドが日本ツアー東京公演は、日本武道館だったのに対し、グランドファンクは後楽園球場。ある年齢以上の人達には伝説になってる例の「嵐の後楽園」。

どれだけ!グランドファンクが、当時、日本で圧倒的に人気があったか?若い人でも想像できると思いますが、実はアメリカでも抜群な人気だったグランドファンクが、チャートで1位になるのは、1973年のこのトッド・ラングレンをプロデュースに迎えた、アメリカンバンドが初で、この後、その勢いにのって、リトルエヴァのカバー ロコモーション も連続1位を獲得して、日米で押しも押されぬ人気バンドになったのですが、その後、急速に、まるでその昔の日本のGSブームのごとく(汗)その人気は急下降し、1976年には一度、解散。

グランドファンクのピークを、アメリカンバンド以前の、ニューロックムーブメントの頃とととらえる方には、わりと不評な、アメリカンバンド、ロコモーション。されどこの2曲の大ヒットは、後のボンジョビィ等のアメリカンロックにも、レコード会社の営業戦略(ポップなものに、ハードロックの要素をもたせる手法の成功)にも多大な影響を与えていると思う、不朽の名曲だと思う次第であります。





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