イージーアクション T. Rex ~ Solid Gold Easy Action [Tレックス]
70年代初頭のR&Rリバイバル。英国のグラムロックブームの寵児だったTレックスの、一連の!日本ヒットナンバーの1曲ですが、近年あまり話題に出ない曲なのでアップ。
1972年、日本での最初にして最大のヒットシングル!「メタル・グルー」により日本で大ブレイクしたTレックス。そしてTレックスが日本のグラムロックブームのとっかかりになります。で、その後のシングル「チルドレン・オブ・レヴォリューション」もラジオのヒットチャートを賑わし、同年末待望の初来日。
日本のキャロルのデビューのきっかけとして有名なTV「リブ・ヤング」(そもそもブームのグラムファッションの若者募集に、キャロルのジョニー大倉氏が応募したのがきっかけ)にTレックスも出演。日本での人気は正に!ピークであり、その頃発表されたシングルレコードが、こちら「イージーアクション」(Solid Gold Easy Action)。
ちなみにキャロルがシングル「ルイジアンナ」でデビューして暫くの頃と、Tレックス来日、シングル「イージーアクション」(Solid Gold Easy Action)は時代がリンクしております。
で、実はTレックスの来日ライブはリアルタイム評判が悪く(あまりに下手と)、当時の「大物外国バンド」来日ラッシュの最中(あの!ディープ・パープルの有名な「ライブインジャパン」はこの年の夏のもの)、来日公演して評判を落としてしまった、Tレックスは数少ないバンドでした(汗)。
で、リアルタイムを知らない今のわりと若い人でも、映画で使われていたので知名度の高い「20センチュリー・ボーイ」(日本録音)が発表されるのが翌1973年。
来日公演で評判を落としてしまったTレックスの、最後の!日本のラジオ番組のヒットチャートを賑わせた曲がこの「20センチュリー・ボーイ」で、ここから急激に!Tレックス人気は下降。後世に語る継がれるグラムロックの雄、Tレックスの日本での大人気、ムーブメントは、実は僅か1年ほどだったんですね。
商魂逞しいレコード会社は、Tレックスが忘れ去られないうちに同年9月、早くも「グレイテストヒット」ベストアルバムを出し、10月の二度目の来日公演の前宣伝にもしたのでしょうが、Tレックスの二度目の来日は話題にすら殆どならず、まるで少し前の日本のグループサウンズブームのように、Tレックス人気は終焉を迎えてしまうわけであります。
勿論、Tレックスは未だ活動していたのですが、日本ではもう「終ったバンド」にされてましたね。
不発に終った二度目の来日から僅か!4年後の1977年、マーク・ボランはロンドンで自動車事故を起こし死亡。享年29才でありました。
Get It On - T-Rex ft Sir Elton John HD [Tレックス]
ブギーのリズムで踊る金髪白人女性というのは、何時みても幾つになっても、美しいと感じます(笑)。
元キング・クリムゾンのイアン・マクドナルドや、後にイエスに加入するリック・ウェイクマン等がレコーディングに参加した、Tレックスの出世作、1971年のアルバム「電気の武者」Electric Warriorからのシングルカット、全英1位、全米10位の大ヒット曲「ゲット・イット・オン 」Get It On(1985年のパワーステーションのカヴァーヴァージョンは、全米9位)。
不朽の!名曲でございます!
時代はR&Rリバイバル。Tレックスの大ヒットによりこの後、グラムロックブームが英国と日本では爆発するわけですが、あまりアメリカではグラムロックはブームという程でもなかったようで、おそらくTレックスの曲で一番アメリカでヒットしたのは、この曲でしょう。
キーボードにエルトン・ジョンが参加しておりますが、アカデミックな音楽教育を受け神童と謳われた天才ピアニスト、バラードの名曲も多いエルトン・ジョンがR&R、ブギーが大好きというのは、(きっと良い人なんだろうなな〜)と思ったりいたします(笑)。自身の大ヒット!R&Rオリジナルナンバー「クロコダイルロック」「土曜の夜は僕の生きがい」もありますし。
グラムロックブームの1970年代初頭、日本で大ヒットしたメタル・グルー/T・レックス Metal Guru/T. Rex [Tレックス]
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今や映画の影響で、Tレックスと言えば「20センチュリーボーイ」が代名詞のようになっておりますが、リアルタイム日本で最も!売れたグラムロックの雄、Tレックスナンバーは、この「メタル・グルー」Metal Guruだったと、管理人は記憶しております。
アコースティック・ギターとヴォーカルのマーク・ボラン、パーカッションのスティーヴ・トゥックの二人組で、ティラノザウルス・レックス(Tyrannosaurus Rex)と名乗っていた彼等が、 1971年にベースのスティーヴ・カーリーとドラムのビル・レジェンドが加わり(元キング・クリムゾンのイアン・マクドナルドや、後にイエスに加入するリック・ウェイクマン等レコーディングに参加)、4人組のバンドになって初めてのアルバム『電気の武者』Electric Warriorが、全英アルバムチャート1位獲得(8週1位独占)。シングルカットされた「ゲット・イット・オン」Get it onは、全米トップ10(10位)入りした曲で、72年発売のアルバム「スライダー」Slider は、全米チャート4位まであがる大ヒット。
メタル・グルーは、アルバム「スライダー」の冒頭、A面1曲目を飾った、そして日本でもシングル盤が売れに売れた、日本でのTレックス人気を決定的にした楽曲で、このロックファンにはお馴染みのジャケット、撮影したのは元ザ・ビートルズのリンゴ・スターなのは、ファンの間で有名ですね。
1973年、人気絶頂期に、日本で録音された「20センチュリー・ボーイ」20th Century Boy は、日本での大ヒットのみならず、全英シングルチャートで3位を獲得(アメリカではヒットしなかったよう)したのですが、74年頃から急激にTレックス、マーク・ボラン人気は下降線に入り、グラムロックブームも、今にして思うと非常に短いソレだったんだなと感じております。
70年代初頭は「第二のビートルズ」とも言われたTレックスの 20th Century Boy [Tレックス]
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わりと若い人にも、邦画「20世紀少年」で使われいたので認知度も人気も高い、70年代初頭は「第二のビートルズ」とも言われ、日本でも抜群の人気を誇っていたグラムロックの立た役者、Tレックスの最高の!、のりのりの名曲!。20th Century Boy。
1973年に、日本の東芝レコードのスタジオで録音されたそうな、このシングル曲の大ヒット以降、皮肉な事にグラムロックブーム、Tレックス人気は急速に日本でも下降し、1974年には完全に衰退してしまい、思えばマーク・ボランはその後、1977年に自動車事故で29才の若さで死亡してしまったわけですから、この曲を日本でレコーディングしてから、僅か!4年しか生きられなかったんですね。
自分が若かったせいか、随分当時はTレックス大人気から衰退、そして死亡のニュースを聞くまで、長い時間に感じたものでしたが(汗)。