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ディープ・パープル ゲッティン・タイター Deep Purple-'Gettin' Tighter'-1975 [ディープパープル レインボウ]





メンバーチェンジによる不安を一掃した1974年の「紫の炎」( Burn )のシングル、アルバム両大ヒットと、それに続く同年発表の「嵐の使者」(Stormbringer)の好感触で、第三期ディープ・パープル盤石なりと思っていた当時のファンにとって、青天の霹靂だった!看板ギタリスト、リッチー・ブラックモアの脱退声明。

後任ギタリストにトミー・ボーリンが参加。1975年発表された、当時のディープ・パープルのラストアルバム「カム・テイスト・ザ・バンド」(Come Taste the Band)収録の、おそらくリッチー・ブラックモアが忌み嫌い、ボーカルのデヴィッド・カヴァデール、ボーカル&ベーシストのグレン・ヒューズが目指したかった、ファンクビートを取り入れたハードロックスタイルのソレだと思われる、「ゲッティン・タイター」(Gettin' Tighter)。

いきなりのファンキーなリズムギターは、当時のハードロックバンドとしては革新的な、ドゥービー・ブラザーズやファンク、クロスオーバーグループの常套手段のカッティングが心地良いわけですが、こういうサウンドをリッチーはやりたくなかったのでしょう。

1984年にレコードレビューした、ファンクとヒップホップを、パンク・ロックやハードロックなどと混ぜ合わせた、ミクスチャー・ロックと呼ばれるサウンドを提供したレッド・ホット・チリ・ペッパーズ以降のロックファンには、別段どうというサウンドではないように聴こえると思いますが、当時のハードロックファンには、ロックにとってブルースやR&Bは良いが、同じ黒人音楽でもソウルやファンクは「外様」のサウンドであり(このへんはリッチーと感覚は同じ)、又、ソウル、ファンク、クロスオーバーファン達は「あのハードロックのパープルが」何をやってんだ?みたいな冷淡な評価しか受けず、ツアーは日本含め各地で大盛況だったようですが評価はさんざんであり、脱退したリッチーのレインボウのようなサウンドをディープ・パープルに求めていたファン達は、アルバム「カム・テイスト・ザ・バンド」(Come Taste the Band)のサウンドを受け入れず、レコードセールスも低調。

ディープ・パープルは結局、解散してしまったわけであります(後に再結成しますが)。






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