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フリートウッドマック ブラック・マジック・ウーマン Fleetwood Mac Peter Green - Black Magic Woman (Live Boston Tea Party) 1 [フリートウッドマック]





サンタナがラテンパーカッションを導入、ジプシージャズの「ジプシークィーン」とメドレーで繋ぎ合わせ、大ヒットさせた!マイナーブルース、「ブラック・マジック・ウーマン」(Black Magic Woman)。オリジナルはこちら、ロック親爺には今も熱い支持を受けているイギリスのホワイトブルースマン、ピーター・グリーン在籍時のフリートウッド・マック。

エリック・クラプトン在籍時のクリームが、世界的に人気になった事で、エリック・クラプトンがクリーム以前に在籍していた、又、ザ・ローリングストーンズに、ブライアン・ジョーンズの後釜で加入したミック・テイラーも在籍してた、それもイギリスのホワイトブルースバンドだという事で、特にヒット曲も日本ではなかったわりに、ロックファン、ギタリストに人気の高いジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズ。そこのこちらもメンバーだった、ピーター・グリーン(ギター)とミック・フリートウッド(ドラム)が中心になって、1967年、ブルースロックブーム吹き荒れるイギリスで結成されたのが、フリートウッド・マック。

そしてマイナーブルースの名曲!こちら「ブラック・マジック・ウーマン」(Black Magic Woman)は、1968年に発表されたわけで、1969年録音の、実質ザ・ビートルズのラストスタジオ録音になった、アルバム「アビイ・ロード』(Abbey Road)のA面ラスト、「アイ・ウォント・ユー」( I Want You (She's So Heavy))のポール・マッカートニーのベースラインは、影響を受けたのではないか?と思われます。或いは一番!イギリスのブルースロックブーム、或いはR&Rリバイバルに感心があったらしい、曲を作ったジョン・レノンが「こんな感じで弾いてほしい」とリズムの例として、もしかしたらフリートウッド・マックの「ブラック・マジック・ウーマン」(Black Magic Woman)を例えに出したのか?。あくまでも想像の域を出ませんが、時代背景を考えると、そんな想像を当サイト運営者は膨らませてしまいます。

結局、当時ありがちだった!ドラッグと精神疾患で、70年代に入るとピーター・グリーンはバンドを離脱してしまい、ブルースロックから出発したフリートウッド・マックは、度重なるメンバーチェンジと音楽趣向の変革を70年代は繰り返し、1977年、日本では同時期、バカ売れしたイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」(Hotel California)の影に隠れてしまった感は否めませんが、アメリカでは31週に渡りビルボードアルバムチャート1位を記録する大ヒットアルバムとなった「噂」(Rumours)を発表。シングルカットされた「ドリームス」(Dreams)も全米チャート1位を記録する、グループの最盛期を迎えるわけであります。






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