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アース・ウィンド&ファイアー 宇宙よりの使者(マイティマイティ)Mighty Mighty/Earth, Wind & Fire [アースウィンド&ファイヤー]





1971年のデビューアルバム後、「愛の伝道師」「地球最後の日」「ブラックロック革命→ヘッド・トゥ・ザ・スカイ」と、凄まじく仰々しい邦題がつく(笑)、まあ、ジャズファンク、クロスオーバー的なアルバムを発表していたアース・ウインド&ファイヤーなれど、商業的な大成功には至らず(特に日本では)、こちらはそんなアースがファンキー路線に方向転換した1974年の「太陽の化身」(Open Our Eyes)の自信の!A面1曲目。

後の大ヒット曲!「宇宙のファンタジー」以前から宇宙という邦題はついていた!「宇宙よりの使者」。まあ、「マイティマイティ」(Mighty Mighty)という題名で昨今のアースファンにもお馴染みの人気の高いナンバー。

まあ、その前のアルバムを「ブラックロック革命」と邦題タイトルにつけてた所が正に!時代であり、ジャズファンクでもクロスオーバーでも、ましてやフュージョンでもない「ブラックロック」、、、当時は黒人音楽が未だ一般的には今ほど認知されておらず洋楽はポップスに続いてニューロックが人気でしたから、商業的にイマイチ、パッとしなかったアースをレコード会社の営業戦略で「ブラックロック」と謳って売り込んだのでしょうが、残念ながらアースは未だ!ブレイクは出来なかったわけです。

ブレイク前のアース・ウィンド&ファイヤーは、黒人社会で人気絶頂だった!ウォーの前座をやったり、白人ロックファンやメキシコ系に人気抜群だったサンタナの前座をやったり、ディープ・パープルファンにはお馴染みの映像&音源である、カリフォルニアジャムにも参加し、認知度をあげようという企業努力があったわけで(そういう営業方針、白人マーケットを狙った音楽性を、Pファンクのジョージ・クリントンには辛辣に批判されていたとか)、こちらアルバム「太陽の化身」(Open Our Eyes)の「宇宙よりの使者」(マイティマイティ、Mighty Mighty)は、1974年のカリフォルニアジャムの時期とリンクします。

おそらく日本の踊り場でアースの楽曲が使われたのは、その「ブラックロック革命」の次のアルバムからの、こちら「宇宙よりの使者」(マイティマイティ、Mighty Mighty)が最初だと思われます。

ただ、同時期、日本の踊り場デビューを果たし、今もダンクラファンに人気の高いKC&ザ・サンシャインバンドの「ファンキーホーン」ほど支持はされず、ウォーやジェームス・ブラウン、グラハム・セントラルステイション等のように、コアなファンクファンにも支持されず、同じく新興ファンク勢力だったクール&ザ・ギャング、オハイオ・プレイヤーズ、BTエクスプレスほどアースというバンドや、楽曲「宇宙よりの使者」(マイティマイティ、Mighty Mighty)が踊り場ファンに浸透していたという記憶は、私的にはありませんね、、、。

アースの人気が先ず!踊り場で、そして日本全国で確実になるのは、もう少し時間がかかったと記憶しております。






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