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レッド・ツエッペリン Led Zeppelin イン・ジ・イヴニング ( In the Evening ) [レッドツエッペリン]





アメリカ、日本では空前のディスコブーム、イギリスではパンクムーブメントからニューウエイヴと時代は急激に変わっていた1979年発表のレッド・ツエッペリンのアルバム、「イン・スルー・ジ・アウト・ドア 」(In Through the Out Door)のA面1曲目を飾った「イン・ジ・イヴニング」 ( In the Evening )。

時代の急激な変化とパンク勢に攻撃の的になっていたので、スタジオ録音は1976年の「プレゼンス」
(Presence)以来3年ぶりになったこちらのアルバムは、レッド・ツエッペリン自身も今迄のような成功は得られないだろうと思っていたそうですが、予想に反し見事に!アルバムは再びビルボード1位を獲得!7週その座を守り、相乗効果で過去のアルバムも再び全部売れだし、レッド・ツエッペリン健在ぶりを示したわけですが、ファンの間ではこのアルバム、賛否両論あり(ジョン・ポール・ジョーンズのキーボードサウンドに対して等)、レッド・ツエッペリン完全復活の真価は次のアルバムにかかってるような空気もなきもしもあらずでしたが、残念ながら1980年9月25日、ジョン・ボーナムの急逝によって、バンドは終焉を迎えてしまったわけであります。

1982年、未発表曲を集めた「最終楽章(コーダ)」(Coda)を発表しておりますが、実質的な最後のスタジオ録音アルバムは、こちら「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」(In Through the Out Door)なわけで、後世のロックファンに70年代はレッド・ツエッペリンとディープ・パープルの時代と伝説で語られますが、実際はレッドツエッペリンは76~79年は、「プレゼンス」(Presence)と、こちら「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」(In Through the Out Door)の2枚しかスタジオ録音アルバムは発表しておりませんし、ディープ・パープルは1975年の「カム・テイスト・ザ・バンド」(Come Taste The Band) 後、解散してしまい(再結成しますが)、1970年代後半は存在すらしていなかったわけです。



それでも!レッド・ツエッペリンが70年代後半、人気を維持できたのは、やはり1973年のライブを中心に制作発表した1976年の映画&サントラが「永遠の詩 (狂熱のライヴ)」(The Song Remains the Same)の大成功にあり、DVD以前にレンタルビデオショップもない時代、この映画は「ウッドストック」等との抱き合わせで、名画座のドル箱になっており、日本中の名画座で繰り返し上映されたのが、70年代後半は来日もしてないレッド・ツエッペリンの、最高の!プロモーションに映画がなってたと言えるわけであります。

一方、70年代後半は解散して存在もしてなかったディープ・パープルは、日本では解散後も根強い人気を誇っており、リッチー・ブラックモア脱退が響き(パープルファン=リッチーファンが多かったから)「カム・テイスト・ザ・バンド」(Come Taste The Band) は不発に終わり、商業的にも失敗したわりに(それが解散の原因にもなってます)、例のライブインジャパンのアンコール曲「ブラック・ナイト」のライブ音源含む編集アルバム「ブラック・ナイト= 24カラット 」(24 Carat Purple)が同年75年に発売され、これが ニューアルバム「カム・テイスト・ザ・バンド」(Come Taste The Band) よりも好セールスを記録。

更には翌1976年にはリッチー在籍時のライブアルバム、「メイド・イン・ヨーロッパ -」(Made in Europe )が発売され、これも好セールスを記録!。更に更に!その翌年1977年にはトミー・ボーリン在籍時のライブ盤「ラスト・コンサート・イン・ジャパン」 ( Last Concert in Japan ) が発表され、お馴染み!リッチー在籍時の名曲をトミー・ボーリンが奏でている事もある、これもリッチーのいないパープルなのに!パープルファンはリッチーヴァージョンとトミー・ボーリンバージョンの「紫の炎 」( Burn)や「スモーク・オン・ザ・ウォーター」( Smoke on the Water)等を聴き比べる楽しさもあり、好セールスを記録。

一方、リッチー・ブラックモアの新バンド「レインボウ」も当初は不評でしたが、コージー・パウエルを入れ、メンバーを一新してからの2作目からはハードロックフリーク注目の的になっており、1976年には第二期のシンガー、イアン・ギランが自身のバンドを結成。1978年には第三期のシンガー、デイヴィッド・カヴァデールもホワイトスネイクでアルバム発表、注目を得、更に決定的だったのが、第二期、第三期の名曲を集めたベストアルバム「ディーペスト・パープル 、Deepest Purple」(The Very Best of Deep Purple) が1980年に発表。これも好セールになり、まるでディープ・パープルは解散してないかのごとく、遠い極東の島国日本では、ディープ・パープル、レインボウのレコードは売れまくっており、イアン・ギラン、デイヴィッド・カヴァデールもホワイトスネイクも注目を集めていたわけであります。

でも!現実にはディープ・パープルは1970年代後半は解散。存在しておらず、レッド・ツエッペリンも1976~80年迄の間、スタジオ録音アルバムは2枚しか発表していなかったわけです。




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