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ジミ・ヘンドリックス 恋のメッセージ Jimi Hendrix - Message to Love [ジミヘンドリックス]





エクスペリエンスを解散後、例の有名な「ウッドストック」出演でのジプシー・サン・アンド・レインボウズを経てジミ・ヘンドリックスが結成した、同じトリオでも白人ドラマー&ベーシストのエクスペリエンスとはうってかわって、全員がアフリカンアメリカンの黒人ファンクロックトリオとでも申しましょうか?そんな言葉、当時はありませんでしたが(汗)、バンド・オブ・ジプシーズの「恋のメッセージ」(Message to Love)。

レッド・ホット・チリ・ペッパーズ登場以降の、ハードロックやファンクやパンクを合わせたミクスチャー・ロック(和製英語だそうですが)が当たり前の洋楽、音楽ファンの方なら、何の違和感もないサウンドと思われますが、当時、こういうミクスチャー・ロックという概念は勿論ありませんし、そもそもファンクという音楽が、未だ未だ全然!日本ではメジャーな音楽ではなかったので、いや、殆どの日本人は知らなかったと言い切っても良いでしょう、、、

既にウイルソン・ピケットやジェームス・ブラウン等が、60年代からファンクを実践しておりましたが、ブーツィー・コリンズ等が加わった極めて短い期間とはいえ「セックス・マシーン 」「スーパーバッド」 「ソウル・パワー 」等の、今もジェームス・ブラウンの代表曲として人気の高いファンクを、ジェームス・ブラウンが作りだすのはバンド・オブ・ジプシーズ登場の少し後から71年にかけての事で、日本の60年代ゴーゴー、70年代半ば頃迄のディスコになる前の「踊り場」に出入りしていた不良達には、圧倒的に!ファンクは人気がありましたが、一般的に当時の日本では未だ未だファンクは未知の音楽。

ジミ・ヘンドリックスがこの頃、ソウルフルでファンキーなグループ。バンド・オブ・ジプシーズで何をやろうとしてたのか?、なかなか特に日本では伝わりずらかったのではないか?と記憶しております(エクスペリアンスのデビューシングルB面「ストーン・フリー」も、ファンクロックサウンドでしたが)。

バンド・オブ・ジプシーズは、ジプシー・サン・アンド・レインボウズ同様、短命でセッショングループっぽい印象も強いので、その評価が当時は低かったのかも知れませんが、ジャズの帝王マイルス・デイビスが「1968年に真剣に聴いていたのは、ジェームス・ブラウン、ジミ・ヘンドリックス、スライ&ファミリー・ストーンだった」と発言してるように、ジミはマイルス・デイビスともしかしたら一緒にやっていたかもしれない説含め、バンド・オブ・ジプシーズ後、ベースのビリー・コックスは残し、ドラムを再びバディ・マイルスからミッチ・ミッチェルにかえ活動していた最中、1970年9月、ジミは死亡してしまったので、『ジミがもしあのまま生きていたら?どんな音楽をやっていただろうか?』という仮説が、ずーっと!ロックファン、ギターファン、音楽ファンは想像を膨らませるわけであります。






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