マイスィートロード ジョージ・ハリスン George Harrison - My Sweet Lord live HD [ジョージハリスン]
1970年末に発表され、全米全英1位を獲得。日本では1971年初頭、大ヒットした、ジョージ・ハリスンの「マイ・スイート・ロード」(My Sweet Lord)。
1972年発表、上映されたバングラッシュ難民救済コンサートを映画化した「バングラデッシュのコンサート」。新宿武蔵野館で当サイト運営者みて、情報も少なかった時代ですし、動くザ・ビートルズやエリック・クラプトンを観る機会というのは、そうそうなかったので、とても興奮、感動した、こちら個人的に想い出深い映像&音源ですね〜。後ろでスライドギターを弾いてるのがエリック・クラプトン。
ザ・ビートルズ解散後、こちらのコンサートでザ・ビートルズの盟友リンゴ・スターやエリック・クラプトン、ビリー・プレストン、レオン・ラッセル、ボブ・デュラン等を集めたライブや、サザンロック系のミュージッシャンを集めたアルバム作りなど、「お友達」の多い所をみせつけたジョージや、プラスチック・オノバンドやレコーディングで、同じくザ・ビートルズのリンゴ・スター、ジョージ・ハリスン、ザ・ビートルズファンにはお馴染みのクラウス・フォアマン、そしてエリック・クラプトン等との仕事をしていたジョン・レノンも「お友達」の多い所をみせつけていたのに対し、ポール・マッカートニーは妻のリンダに声で手伝ってもらう以外、全ての楽器を一人で演奏するマルチレコーディングによるアルバムを作り発表、「孤立」の印象があったのも、ザ・ビートルズ解散後、数年は、小野洋子さんと共に、その原因をポール・マッカートニーにあったという、心ない批評家、ファンからの風評の原因だったかも知れないですね。
それほどザ・ビートルズ解散後当時のジョージ・ハリソンは、よっぽどジョンとポールの影でザ・ビートルズ時代は不遇、虐げられていたに違いない、余計な詮索、特に日本人は判官贔屓ゆえ(笑)、普通に思わせる、驚くほど元気で活動的で、話題のミュージッシャンでありました。
まあ、こちらの映像はその真っ最中だった筈の、妻のパティ・ボイドをエリック・クラプトンにジョージが寝とられたのも、判官贔屓の日本人の琴線に触れたかもしれないですし、この手の不倫ネタはワイドショー的に女性にも注目を浴びていたので(笑)、ジョージは当時そのキャリアの中で、日本で最も!人気が高かった時期だったと思っております。
アメリカの女性アイドルグループ、シフォンズ(en:Chiffons)の1963年の全米No.1ヒットナンバー「イカした彼」(He's So Fine)の盗作疑惑で訴訟にまでなった、↓こちらが、シフォンズの「イカした彼」。