ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード The Long And Winding Road - The Beatles [ビートルズ]
1970年3月、本国イギリスではラストシングルは「レット・イット・ビー」(Let It Be)でしたが、日本(10月)とアメリカではラストシングル盤は、こちら「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」(The Long And Winding Road)。
日本ではサイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」と「レットイットビー」が同時期の発売で、共にヒットし、そんな時代の空気の後を受けた「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」(The Long And Winding Road)もヒットいたしましたし、ザ・ビートルズファンはご承知の通り、このテイク、色々と「伝説」があるわけですが、当時の日本人の耳にはこのフィル・スペクターがオーヴァーダヴィングした、ポール・マッカートニーが忌み嫌ったオーケストラと14人の女声コーラスが、とても心地良く、あまりザ・ビートルズに詳しくな方には、「レット・イット・ビー」(Let It Be)同様、当時も今もとても人気の高い曲です。
まあ、ザ・ビートルズファンならご承知の通り、「ゲットバックセッション」として収録はしたけれど、ザ・ビートルズ内の内紛で棚上げになる、ラストアルバムとして発表された「レット・イット・ビー」(Let It Be)より、先に発売されたアルバム「アビイ・ロード」(Abbey Road)の方が、実は録音、制作は後なので、昨今は情報の溢れてる時代ですので、ザ・ビートルズのラストアルバム、ラストシングル感は、アルバム「レット・イット・ビー」(Let It Be)もシングル「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」(The Long And Winding Road)も希薄なようですが、リアルタイム、情報も少ない時代、解散の決まったザ・ビートルズの「レット・イット・ビー」(Let It Be)と「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」(The Long And Winding Road)の2曲は、非常に!ザ・ビートルズの終焉、1つの時代の終わりを感じさせる、ある種、レクイエムに感じる楽曲だったように、記憶しております。
が!ポール・マッカートニーが忌み嫌ったフィル・スペクターのフルオーケストラを、アレンジ、指揮したリチャード・ヒューソンは、ポール・マッカートニーが手がけたメリー・ホプキンのデビュー曲「悲しき天使」のアレンジャーにポールが抜擢した方で、ザ・ビートルズ解散後のポール・マッカートニーのソロアルバム、かの!大ヒット曲「マイ・ラブ」のアレンジをポールは、リチャード・ヒューソンに任せておりますので、おそらく「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」(The Long And Winding Road)のリチャード・ヒューソンの「仕事」を忌み嫌ったのではなく、自分に無断で、当時、対立していたジョン・レノンと悪名高きアラン・クレインが、フィル・スペクターに「仕事」を依頼し、自分の許可なく自分の作品を、こう仕上げられた事に激高していたのだと想像できます。
でなければ、ザ・ビートルズ解散後、「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」(The Long And Winding Road)の壮大なオーケストラと女性コーラスをアレンジ、指揮したリチャード・ヒューソンを。ポールが起用するわけがないですからね。
ちなみに、日本で大ヒットしたビージーズの「小さな恋のメロディ」のサウンドトラックを手がけたのも、リチャード・ヒューソンです。