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移民の歌 Led Zeppelin - Immigrant Song (Live Video) レッド・ツエッペリン [レッドツエッペリン]





リアルタイム当時、日本では「胸いっぱいの愛を」と並びシングルヒットし、ポップチャートを賑わせた1971年発表のサードアルバムからの「移民の歌」( Immigrant Song)。ちなみに本国イギリスでは「移民の歌」( Immigrant Song)はシングルカットされておりません。

ヒッピーフラワームーブメントとニューロックの間の時期でもあった、1970年代の幕開け、商業的に最も成功したバンドはレッド・ツエッペリンとサンタナだったと言えるわけですが(マーケットの大きいアメリカでの大成功ゆえ)、レッド・ツエッペリンの成功は今迄にないビジネスモデルであり、その後のロックビジネスに最も影響を与えたバンドとも言えます。

何かと当時のロックミュージシャンは、レコード会社やマネージャーに自分達に不都合な契約を結ばされ、レコードが売れてもライブで大盛況になっても、人気者のわりに全く自分達にはお金が入ってこないなんて、悲惨な話しが多々ありますが、裏方経験者であり、既にヤードバーズというバンドを経験していたジミー・ペイジは違ったと、、、。

既に商業的にも大成功していたザ・ビートルズが、やっていたと言えばやっていたわけですが、未だ、商業的大成功を得ていなかったレッド・ツエッペリンを、ジミー・ペイジは最初からミュージッシャン自らがバンドやアルバムのイニシアティブをとる運営方針、営業方針をうちだし、それをマネージャーのピーター・グラントが承諾、共にロックの新しい「ビジネスモデル」を作ったのも特筆すべきで、ジミー・ペイジの裏方経験、ヤードバーズ経験同様、マネージャーのピーター・グラントの、劇場の裏方、用心棒にプロレスラー、俳優など様々な職を転々とした後、音楽業界に入り、アメリカから渡英してきたジーン・ヴィンセント、チャック・ベリー、リトル・リチャード、エディ・コクランらのツアー・マネージャー経験が、ジミーと同じ考えに向かわせたのでしょう。



後に吉田拓郎氏はじめ日本の「ふぉーくの人達」や矢沢永吉氏、山下達郎氏等が同じ手法をとった、テレビにでずライブや小さいクラブでの演奏の評判、口コミで人気を得、自分達で作った楽曲が詰まった(よって印税はシングルレコードよりでかい)アルバムを売りまくる。

シングルレコードを売る為にテレビに露出し、マスメディアに媚び諂い先ずは人気者になるという、それまでの音楽業界の常識を覆し、テレビには出ずマスメディアには辛辣な言葉を吐き敵対関係まで作り、ライブとアルバムに重きを置いた「ビジネスモデル」のルーツは、レッド・ツエッペリンと言えるわけです。






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