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ジャック・ブルース レズリー・ウエスト West,Bruce & Laing - Politician [エリッククラプトン クリーム]





クリームのジャック・ブルースにマウンテンのレズリー・ウエスト、そしてコーキー・レイングの名前をもじって結成された、如何にも!当時の「スーパーバンド」らしいグループ名のウエストブルース&レイングの1974年に発表されたライブ音源。

プレイしてるのは、クリーム時代のお馴染みの!「政治家」(Politician)。

とにかくクリームは人気絶頂時!に空中分解しているので、しかもジミ・ヘンドリックス同様、新たなギターヒーロー、スーパーバンドのニューロック時代の幕開けのクリームは火付け役でもあったので、そのメンバーのネームバリュー、マーケットもご本人達もレコード会社も放っていては損。

当時はそのルックスの良さもあり、時代のカリスマでもあった!スーパーギタリスト!エリック・クラプトンのその後の動向が最も注目され、クラプトンの次の「スーパーバンド」はブラインドフェイスというグループらしい、ここにはクリームのジンジャー・ベイカーもいる、他にはトラフィックのスティーヴィー・ウインウッドもいる。これこそ次なる「スーパーバンド」という感じなのですが、残念ながらブラインドフェイスは短期間で再び空中分解。



クリーム3人のうち2対1の感だったジャック・ブルースも、クリーム解散後はすぐソロアルバムを制作、ジャズ、クロスオーバーファンにはその後、お馴染みになる、マイルス・デイヴィスよりも早くからジャズとロックの融合を試みていたギタリスト、ラリー・コリエルと、かの!ジミ・ヘンドリックスのバンド、エクスペリエンスのドラマー、ミッチ・ミッチェルとマイク・マンデルとジャックはグループを組み活動しますが、こちらも短命で終わり、なんとなーく、このへんはロックの歴史で殆ど名前の出ない、ジャックの経歴であります。

ジャックはこの後、ジョン・マクラフリンの在籍するアメリカのトニー・ウィリアムスのトリオに参加したり、再びラリー・コリエルと演奏したり、ジャックがエリック・クラプトンにかわる、それ以上のギタリストと「スーパーバンド」結成を模索していたのが、なんとなーくわかる動向であります。



おそらくクラプトンより年上で音楽歴も長いジャックは(ジンジャーも)、クリームは自分の力で成功した。クラプトンは人気者だったが、けっしてクリームはクラプトンでもっていたバンドではない。という、当時は全員の不仲でクリームは解散してますので思いはジャックにあったのではないか?(ジンジャーも)と想像できますので、ジャックのこの一連の活動は、そう考えると合点もいきます。

しかしラリー・コリエルもジョン・マクラフリンも、この後のクロスオーバー、フュージョンブームの頃、それなりに注目の的になった凄腕ギタリストですが、クラプトンのような大衆のカリスマ人気を得れるほどではなく(その後もそうですが)、空中分解したとはいえブラインドフェイス、又、ザ・ビートルズのジョージ・ハリスンやジョン・レノンとの接触、アメリカのサザンロック寄りの活動からソロ、かの「愛しのレイラ」のデレク&ドミノスと、常に!シーンの注目の的であったクラプトンと違い、次第にジャック・ブルースがポップシーンでは影が薄くなっていったのは否めないです。



ジャックはクリーム時代からの楽曲作りの盟友ピート・ブラウン協力の元、イギリス音楽界、ブルースの重鎮、グレアム・ボンド(この前にジンジャーのバンドに加入してます)等とJack Bruce & Friendsを結成するも、1972年、商業的には失敗に終わり解散。

ここで!クリーム時代のプロデューサーだったフェリックス・パッパラルディがレズリー・ウエストと作ったバンド、商業的にニューロックのあの時代、グランドファンクやレッド・ツエッペリンと共に大成功。かの「ウッドストック」にも出演していたマウンテンがジャックのグループ解散と同じ時期に、パッパラルディとレズリー・ウエストの不仲で解散。

このマウンテンの、レズリー・ウエストとコーキー・レイングとジャックはバンドを組んだのがこちらの音源。

既に当時「伝説」であった(解散から僅か数年なのに)クリームのジャック・ブルースと、人気絶頂だったマウンテンの二人が新バンドを組んだ。世は正に「スーパーバンド」ブームの時代。この!マウンテンとクリームの合体。ウエストブルース&レイジングこそ!「スーパーバンド」の決定版と、当時の日本のニューロックファン達にも、相当!支持されていたグループが結成されたわけでありますが、又々、ジャックは暫くして脱退。このグループも短命に終わってしまいます。

ジャックはその後、ローリング・ストーンズを脱退したミック・テイラー等とザ・ジャック・ブルース・バンドを結成したり、トニー・ハイマスやサイモン・フィリップスとニューバンドを結成するも、どれも商業的な成功には至らず、ビリー・コブハム等、ジャックが組む相手は音楽ファンにはお馴染みの凄腕の方が多かったのですが、ロックの「ゴールドラッシュ」でもあった1970〜80年代、クリームのような「金鉱」をジャックは再び掘り起こす事は出来なかったわけです(ジンジャーも)。

ちなみにジャックが抜けた、こちらウエストブルース&レイニーズは再び、パッパラルディを入れマウンテンを再結成。1974年、日本公演も行いますが(ジャック在籍時に契約で決まってたとか)、やっぱりレズリーとパッパラルディの溝は埋まらずマウンテンは再び解散。

フェリックス・パッパラルディはこの後、クリーム時代のエリック・クラプトン。マウンテンのレズリー・ウエストに続き、日本のクリエイションの竹田和夫氏に着目。クリエイションとアメリカツアーを行い、クリエイションとレコーディングを本国で行い。そして日本のロックグループとしては初の!クリエイションの日本武道館凱旋公演(ソロとしてはこの後の矢沢永吉氏が初)に、パッパラルディは参加しております。





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