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ママキン Aerosmith - Mama Kin (with Lyrics) [エアロスミス]





21世紀の今現在、古の伝統あるもの凄いロックバンドの1つに位置ずけられるエアロスミスですが、デビュー当時の70年代は、けっしてそこまでの高い評価は受けていなかった。自国アメリカの「ローリングストーン」誌でも酷評をうけ、日本ではエアロスミスデビューの少し前の「ニューロック」のコアなファンに、ストーンズやヤードバーズのチープなコピーバンド扱い呼ばわれされており、商業的にも1973年のデビューアルバム「野獣生誕」(Aerosmith)は、本国アメリカでも日本でも、大きなセールスにはなりませんでした(ドリーム・オンがシングル盤として再発売されアメリカのチャートで6位を記録するのは、1976年)。

「野獣生誕」(Aerosmith)が発表された1973年は、吉田拓郎氏の「結婚しようよ」、かぐや姫の「神田川」等が大ヒットを飛ばし、日本の若者達の間で空前に和製ふぉーくブームが盛り上がっていた時代であり、楽器屋もアコースティックギターを全面に押し出し、更には吉田拓郎氏がこの後、当時のトップアイドル、人気NO1だった浅田美代子さんと再婚されたのが、「おつむの弱い」「女にもてたい」若者達には衝撃の出来事!(笑)。

アコースティックギターを持ってオリジナルソングを作れば金も儲かるし「美代ちゃんとも結婚できる!」「エレキは難しそうだけどこれなら自分だって出来そうだ」と錯覚しだした時代なので、あまり後世に伝わるような、必ずしも当時は「ロックの時代」ではなかったわけであります。



それでも女性編集長による某有名音楽雑誌が、こちらもアメリカでは未だ人気が爆発していなかったクィーンやキッスと共に、こちらエアロスミスを強烈にプッシュし続けていたので、その成果なのか?金が儲かり浅田美代子さんとも結婚ができると、ふぉーく、ふぉーくと草木もなびいてた世代より、若干年下の世代が、その上の「ニューロック」の方々とは少し違う「新しいロックファン」に育って行き、この層が70年代中期から後半、エアロスミス、キッス、クィーンを圧倒的に支持しだし、日本でのエアロスミス大物ロクバンド伝説がスタートしたと、当サイト管理人は記憶しております。

更に!洋楽初体験がこの時期だった更にまた年下の層は、ごく自然にクィーン、キッス、エアロスミス(ベイシティローラーズも)がそこにあり、この世代が成長し来るべき80年代のヘビーメタル、ジャパメタ、パンク、バンドブーム、或いは「産業ロック」の中心層になったわけであります。

「ママ・キン 」( Mama Kin)はそのデビューアルバム「野獣生誕」(Aerosmith)の中の、そういうわけでリアルタイム、ヒットチャートをかけあがったわけでもないのに、70年代中期頃から数多くの学生バンドに日本でもレパートリーに取り上げられ、ガンズ・アンド・ローゼズのミニアルバムでも取り上げられた事もあり、不動のロックの古典ナンバーの地位を築いた曲であります。




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