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スージー・クアトロ/Suzi Quatro - The Wild One (1974) [スージークアトロ]



リアルタイムでスージー・クアトロもワイルドワンも知らない方でも、TV、ビートたけし氏の「お笑いウルトラクイズ」で使われていたので、聴き覚えのある方、多いのではないか?と思われます。


グレイテスト・ヒッツ
時は1960年代後半から吹きあれた、「R&Rリバイバルブーム」の真っただ中。第一期ジェフ・ベックグループでそれを確立したブルースロックではない、何か新しい事を初めたかった英国のギタリスト、ジェフ・ベックのモータウン・スタジオでのセッション、レコーディングのために同行していた音楽プロデューサーのミッキー・モストによって、スージー・クアトロは高い評価を受ける。1971年末、ミッキーを頼ってスージーは渡英。

こんへんの経緯はその数年前のジミ・ヘンドリックスにスージーも似ております。

唯、ジミと決定的に異なったのが、英国、オーストラリア、そして日本で大人気、大ヒットになったスージーでしたが、何故か?本国アメリカでは、ジミのように「凱旋帰国」商業的大成功を収められなかった事で、みての通りルックスも良い、演奏力もあり歌も上手く曲もキャッチーでグルーヴィーでイカしてるのに、何故?アメリカで受け入れられなかったのか?、今も管理人には謎でございます。

日本でも73年の「キャンザキャン」Can The Canの大ヒットを皮切りにヒットチャートの常連、ビッグヒットを連発していたスージーでしたが、管理人の記憶ではこちら「ワイルドワン」The Wild Oneが最後のビッグヒットだったのではなかったか?。Tレックスと同じく、この後、急激にスージーの人気は日本で下降してしまうわけですが、この後、スージーはアメリカマーケットを狙いポップ路線にかわり、スモーキーのクリス・ノーマンとのデュエット・シングル「Stumblin' In」が思惑通り、78年にアメリカチャートにめでたく入る事に成功するも、R&Rのスージー好きだった日本と英国では、殆ど反響はありませんでした。



みての通りのレザーの上下でベースを抱え歌うスージーの姿というのは、同時期の日本のキャロルの矢沢永吉氏にも通じるものがあり、キャロルは公式デビュー前のザ・ビートルズをイメージしたジョニー大倉氏による発案で、レザーの上下にポマードスタイルだったわけで、別にスージー・クアトロを真似たわけではないのですが、シンクロニシティ、海の向こうでも、同じような発想でスージーがレザーの上下で、R&Rリバイバル(グラムロックも基本的にはR&Rリバイバル)ブームに乗って登場していたのは、感慨深いものが管理人は今もありますし、スージーはバック・バンドのギタリスト、レスターと日本で着物を着て和式の結婚式を挙げてたほど日本贔屓で、この模様は当時、ロックジェネレーションの為の音楽雑誌「ミュージックライフ」に掲載されてたのが、今も懐かしいです。

「なぜベースを選んだのですかって?そりゃ、股間にひびくからよ」(Byスージー・クアトロ)





スージー・クアトロ・ストーリー


サディスティック・ロックの女王



グレイテスト・ヒッツ


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