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ショーミーザウェイ Peter Frampton - Show Me The Way (Live Midnight Special 1975).avi [ピーターフランプトン ハンブルパイ]





英国で、美少年であるが故にザ・ハードというバンドで、既に60年代後半からティーンエイジャーの人気者だったピーター・フランプトンは、アイドル扱いに嫌気がさし、英国労働者階級の若者達、非行少年達に圧倒的人気を誇っていたモッズの代表的バンド、スモール・フェイセスのスティーヴ・マリオット(かつて子役俳優の人気者だったから、アイドル人気のフランプトンと『冗談じゃねーよな』と意気投合したのかも?。管理人の独断の予測で何の資料はございません。あしからず。汗)接近。ハードを脱退するフランプトンと時機を同じくグループを脱退したマリオット達と、古のロックフリーク達にはお馴染み!ハンブル・パイを結成。

ちなみにジミー・ペイジは同時期、レッドツエッペリン結成時の構想のボーカルは、スティーヴ・ウィンウッドか?このスティーブ・マリオットだったと言われておりますし、スモール・フェイセスは脱退した人気者のマリオットのかわりに、ジェフ・ベック・グループをクビになっていたロッド・スチュアートとロン・ウッドを加え、新生フェイセズを結成。フランプトン、マリオットの人気者二人の二枚看板の『スーパーグループ』ハンブルパイ結成は、後から思えばマリオットにとっても人生の分岐点だったわけですね。

二枚看板の『スーパーグループ』の筈なれど、フランプトンはブルージーでソウルフルなマリオット色の強くなるハンブルパイで、居場所をなくし72年に脱退。


Frampton Comes Alive (25th Dlx Ann Edt)
1974年から完全に活動の場をアメリカに移行したフランプトンは、精力的に!草の根全米ツアーを開始。1976年、この努力の結晶!全米ツアーを収録した2枚組のライブ・アルバム『フランプトン・カムズ・アライブ (Frampton Comes Alive!)』が全米1位、全世界で1,000万枚を売り上げる驚異的な大ヒット作となり、こちらはそのアルバムから日本でもシングルカットされ大ヒット!した「ショーミーザウェイ」Show me the way。

1977年には、ビー・ジーズのギブ兄弟らと映画「サージェント・ペパーズ」にも出演したり、もの凄い人気者になったフランプトンなれど、業界の大人達に巧妙にレコード印税やコンサート収益など殆どを搾取され、あまり金銭的には実は恵まれてなかったそうで、このへんはスティーヴ・マリオットもそうだったそうで、当時のビッグビジネスになったロック産業は、この手の嫌な話しがごろごろしてます。






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ピーター・フランプトン


グレイテスト・ヒッツ

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