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日本で抜群に人気があったフレンチポップス シェリーに口づけ(Tout Tout Pour Ma Cherie)/ミッシェル・ポルナレフ [ミッシェル・ポルナレフ]








日本では1971年に発売。空前の大ヒットになり、当時、暫くの間は日本ではカーペンターズか?ミッシェル・ポルナレフか?ってほど、外国人で大人気だったミッシェル・ポルナレフ人気の、とっかかりになった1曲でございます。

日本で大ヒットしたこの「シェリーに口づけ」は、本国フランスではアルバム未収録、シングルB面として世に出ていた曲だそうで、このへんは日本人とフランス人の国民性、感覚の違いなのでしょうね。フランスではヒットした曲が日本では受け入れられなかったとか、あったようですし。

という事は、当時、日本では無名だったミッシェル・ポルナレフの、フランスではシングルB面曲の「シェリーに口づけ」が、日本で絶対に!売れると確信を持って社内でプレゼンをしたレコード会社の社員の方がいる筈!なんですよね。日本のサラリーマン社会で。誰なんでしょう、、、素晴らしい耳とセンスの持ち主だと、今更ながら思ってしまいます。こういう方が皆、「人知れず」人生を終えてくんでしょうね。

で、

ポルナレフはその名の通りフランス人ですが、幼少期からアカデミックなクラシックの音楽教育を受け、コンセルバトワール(パリ音楽院)に通い、クラスで1番の成績を修めていたのに!、アメリカのエルヴィス・プレスリーからのR&Rムーブメントに、英国のザ・ビートルズに限らず、フランスのポルナレフも又!強い影響を受け、クラシック音楽への情熱を次第に失っていき、R&R、ポップミュージックに傾倒していったそうで、日本でブレイクする5年も前、1966年に「ノンノン人形(La poupée qui fait non)」でデビューしたそうなのですが、この曲、ベースは後にレッド・ツェッペリンのメンバーとなるジョン・ポール・ジョーンズが担当したそうで(汗)、更に!ファーストアルバムには、同じく!後のレッド・ツェッペリンの中心メンバー、ギタリストのジミー・ペイジが参加し、英語の作詞でプロコル・ハルムのキース・レイドが参加しているそうで、ポルナレフファン、レッドツエッペリンファンは、ミッシェル・ポルナレフのファーストアルバムは必聴!ではないでしょうか?!。

ポルナレフは、ジェリー・リー・ルイスのR&Rの不朽の名曲!「火の玉ロック」もカバーしており、R&Rからの影響力の強さを素直に表明しております。

残念ながら本国フランスと日本では、大人気だったミッシェル・ポルナレフ。ジュリーこと日本の沢田研二氏がフランスに進出、「MON AMOUR JE VIENS DU BOUT DU MONDE」(「巴里にひとり」のフランス語ヴァージョン)をラジオチャートで最高位4位を記録するほどヒットさせた時、フランスのメディアは、ジュリーを「日本のポルナレフ」と紹介していたほど、日仏では人気だったのに、アメリカではイマイチ!ミッシェル・ポルナレフは人気者になれなかったわりに、67才の彼はアメリカのカリフォルニア州に居住してるそうです(2011年現在)。



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