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ジョー山中 Flower Travellin' Band/SATORI Pt.2 [ジョー山中]





当サイト、日本のバンド初登場は、やはり礼儀としても!、日本最強、最高のシンガー!ジョー山中氏のFlower Travellin' Band以外にはないでしょう。

協栄ボクシングジム(当時、金平ジム)でボクシングもやっていた元ボクサー、元4.9.1のジョー山中氏(Vo)、元ビーバーズの石間秀樹氏(G)、元タックスマンの上月ジュン氏/現:小林ジュン(B)、元フラワーズの和田ジョージ氏(Dr)の4人によって1970年2月に結成。フラワーズに在籍していた内田裕也氏がプロデュース。

世界に通じる日本のロックバンド!、日本のロックバンドの世界進出!を、既に1970年代初頭から視野に入れていた内田裕也氏プロデュースの最初のバンドであり、カナダ遠征後、アメリカのアトランティック・レコードと契約、アルバム「SATORI」をアメリカとカナダで発売。


サトリ
同アルバムから「SATORI Part2」がシングルカットされカナダのチャートにも入ったのですが、当時の日本のマスメディアは、日本の歌謡芸能の世界のゴシップに忙しく、殆ど日本のロックに興味も関心もなく、マスメディアが報じない限り、今のようにインターネットがあるわけではない時代ゆえ、大衆にそのニュースは届かず、今も(2011年)尚、このへんのエピソードは、当時、若者だった筈の初老、中高年でも、一部のコアなロックファンしか知らないソレなわけでございまする。

惜しかったのが、マスメディアも注目せざるを得なかった、1973年1月に初来日予定だったザ・ローリング・ストーンズの日本公演のオープニングアクトを務める予定だったFlower Travellin' Bandなのに、そのストーンズが、日本国側がストーンズメンバーの麻薬所持による逮捕歴や、ビートルズ来日時のような混乱を避けるためという、わけわからない理由で、入国を却下、チケットが完売していたにも関わらず、公演が直前になってしまった事が、バンドにおいても、日本のロック、音楽史においても痛手だったのではないか?と管理人は思う次第。

歴史に「たられば」はないとはいえ、残念な事件でございます。

結局、Flower Travellin' Bandは、デヴィッド・ボウイにも高く評価され、ライトハウス、ELP、ドクター・ジョンなどと競演ライブも行ったのに、日本の大衆に支持される大きなヒットもないまま(解散後、再評価は今の今迄、続いておりますが)、ストーンズ来日公演中止の同年、1973年、解散してしまったわけで、今、特に!若い方々に、是非!聴いていただきたい1曲だと思います。

ジョー山中 Flower Travellin' Band/SATORI Pt.2







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