1973年、全米ビルボードチャート1位、アメリカンハードロックバンドの雄!グランドファンクの We're An American Band [グランドファンクレイルロード]
★月々100円(税抜)からオンラインショップを運営!
独自SSL・高機能カート・クレジット決済が簡単導入
今も70年代ハードロックと言えば,レッドツエッペリン、ディープパープルとすぐ名前が誰でもでますが、その両バンドが日本ツアー東京公演は、日本武道館だったのに対し、グランドファンクは後楽園球場。ある年齢以上の人達には伝説になってる例の「嵐の後楽園」。
どれだけ!グランドファンクが、当時、日本で圧倒的に人気があったか?若い人でも想像できると思いますが、実はアメリカでも抜群な人気だったグランドファンクが、チャートで1位になるのは、1973年のこのトッド・ラングレンをプロデュースに迎えた、アメリカンバンドが初で、この後、その勢いにのって、リトルエヴァのカバー ロコモーション も連続1位を獲得して、日米で押しも押されぬ人気バンドになったのですが、その後、急速に、まるでその昔の日本のGSブームのごとく(汗)その人気は急下降し、1976年には一度、解散。
グランドファンクのピークを、アメリカンバンド以前の、ニューロックムーブメントの頃とととらえる方には、わりと不評な、アメリカンバンド、ロコモーション。されどこの2曲の大ヒットは、後のボンジョビィ等のアメリカンロックにも、レコード会社の営業戦略(ポップなものに、ハードロックの要素をもたせる手法の成功)にも多大な影響を与えていると思う、不朽の名曲だと思う次第であります。
コメント 0